衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)
(衆生は無辺なれども誓(ちか)って度(ど)せんことを願う)
「四(し)弘(ぐ)誓願(せいがん)」より
新年おめでとうございます。
年頭にあたり、本年が皆々様にとりまして、よき一年となりますよう、お念じ申しあげます。
さて、昨年末、アマゾン(インターネット通販サイト)による僧侶の定額派遣(読経一回三万五千円)の受付が始まり、話題となりました。
この件について、僧侶の側からは、批判的な意見が多かったと思いますが、基本的に、布施と代金は違うということです。すなわち、仏道と商売の差です。
僧侶にとって、仏道と商売の差はどこにあるか?これは、ひとえに僧侶自身の自覚の問題であると思います。本人が仏道と思っていれば仏道ですし、本人が商売と思っていればそれは仏道とは言えません。アマゾンの僧侶派遣が商売として成立するということのうらには、大きな問題があります。
信心は目には見えない心の世界です。信心のありがたさは、信心より縁遠い者にしてみれば理解不能でありましょう。
「阿弥陀仏を拝んで、一体何がありがたいのか?」と尋ねられることがあります。
自らのいのちの根源として、ご先祖さまのその先におられる阿弥陀仏(無量寿仏・永遠のいのちというみ名のほとけ)、そして、私を救い護ってくださる四十八願成就の阿弥陀仏・・・・。仏道の先には、必ず魂の救済があるのです。
商いは立派な職業です。しかし、読経を商売とすることには、強い違和感があると言わざるを得ません。アマゾンによる僧侶派遣のニュースは、僧侶自身が自らを省みるよい機会になったと思います。
本年も、共々に信心を深めて参りましょう。
南無阿弥陀仏 合掌