浄土門は愚痴(ぐち)に還(かえ)りて
極楽に生ず
法然上人
九月になりました。
夏の終わりは寂しく感じます。盛んであったものが、色褪(いろあ)せてゆくからでしょうか。
さて、私たちは、氾濫(はんらん)する情報に麻痺(まひ)してしまっていますが、世界を駆け巡るニュースは、そら恐ろしいニュースばかりです。
人間の愚かな行為は、自然界の動物たちの弱肉強食の世界と比べるまでもなく、罪深いと言わざるを得ません。
私たち念仏者は、「ただ争いを捨てて念仏に帰せよ」という、宗祖法然上人のみ教えを素直に頂くほかはありません。
本山での生活は静かなものです。朝五時半、ご法主猊下(ほっしゅげいか)と勤める晨(じん)朝(じょう)勤行(ごんぎょう)で、ご法主自ら、「天下和順之(てんげわじゅんの)文(もん)」をお唱えになります。阿弥陀仏の四十八願を説く『仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)』の一節です。
天下(てんげ)和順(わじゅん) 日月(にちがつ)清明(しょうみょう) 風雨(ふうう)以時(いじ) 災厲(さいれい)不起(ふき) 国(こく)豊(ぶ)民安(みんあん) 兵戈(ひょうが)無用(むゆう) 崇(す)徳(とく)興(こう)仁(にん) 務修禮(むしゅらい)譲(じょう)
平和を願う人間と、自我のために勢力拡大をはかる人間の分かれ道は何処にあるのでしょうか。
私たちは、念仏こそが真の平和と繁栄に至る道と理解して、阿弥陀仏と二人連れの人生を歩んで参りましょう。
南無阿弥陀仏 合掌