月かげ第179号

阿弥陀仏が慈悲をもって

私に入って下さっている

ことに気がつくことが

大事なことです

 

   総本山光明寺第八十六世

          堀本賢順法主

地震や台風など災害の多かった今年でしたが、ようやく紅葉の季節を迎えました。各所の甚大な被害のため、屋根屋さん、大工さん、左官屋さんなどの職人さんたちは、百軒待ち何十軒待ちが当たり前とお聞きしました。

さて、去る十月二十五日、京都西山短期大学開学記念式の記念講演で、作家の村上春樹氏のお話をお聞きしました。村上春樹氏の父上が西山浄土宗の僧籍を持たれていたご縁での講演でありました。講演ではその父上のご生涯をお話されました。四十五分間という比較的短い講演でしたが、言葉に全くよどみがなく、流れるようなお話に多くの聴衆が魅了されたことでした。

講演の最後は、

「父の人生はありきたりの一人の男の人生です。それは、広大な海の中の一滴の水に過ぎません。しかし、その一滴の水の人生を申し送る必要が私たちにはあります。私たちはその責任を忘れてはいけません」

というような内容であったかと思います。

一滴の水の人生を申し送る責任、それは昔、文字を知らなかった私たちの先祖が、それぞれの時代において、父の人生、母の人生を語り継ぎ、昔話や教訓として脈々と受けついできたこととつながるような気がしました。

父の人生や母の人生をかみしめ、子孫に伝えてゆく。これこそが、最高の教育でありましょう。目から鱗(うろこ)の講演を拝聴させて頂けたご縁に深く感謝致します。

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第178号

鳥は

飛ばねばならぬ

人は

生きねばならぬ

 

            坂村真(しん)民(みん)

 

今年は、六月の大阪北部地震に始まり、台風二十一号、二十四号と災害の多い一年でした。しかし、それでもかろうじて最小限とも思える被害で十月を迎えることができましたのは、お念仏の功徳の一つである、念仏者は如来の御加護に与(あずか)るということであったと思います。

大難が小難になる、ということです。

台風二十一号の折、当山では、永代合祀墓前のお地蔵さまと六地蔵さま横の古いお地蔵さまが倒れました。しかし、お寺そのものは玄関上の白壁が少し剥がれただけで、最小限の被害で済みました。

その後、お倒れになられた二体のお地蔵さまは、現在、元どおりにお祀りさせて頂いております。どなたからともなく、私たちの受けるべき災害の身代わりとなって頂いたという声をお聞きします。

本山でも同じく、大木が数十本倒れましたが、不思議と建物への被害は、瓦(かわら)の破損のみでした。多くの木々が身代わりとなって護(まも)ってくれたのだなぁと、一同、感心した次第です。

このように受け止めるにつけ、念仏者は幸福であると思います。

法然上人以来、念仏者は大難が小難になるということを、身をもって実感し、豊かな心で日々を生き抜く復元力を与えて頂いているからです。

今年も残すところ三ヶ月となりましたが、よき一年となりますよう、お念仏をよろこんで参りましょう。

               南無阿弥陀仏  合掌

 

月かげ第177号

 念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

 

  (観音菩薩のお力を念ずれば観音菩薩のお護りに与(あずか)る)

             『法華経普門品(ほけきょうふもんぼん)』より

 

ひときわ暑かった夏がようやく終わろうとしています。

皆さま、お疲れは出ませんでしたでしょうか。また、台風二十号による被害はありませんでしたでしょうか。

さて、当山におきましては、長年の懸案(けんあん)でありました観音堂の修復工事に、去る八月二十一日より取りかかる運びとなりました。 

観音堂は、約十年ほど前に、境内のお地蔵さま横の槙の木の根をつたってシロアリが入り、お堂としてはかろうじて保っているものの、専門家の皆さんより修復不可能のレッテルを貼られ、約二~三十年何とかこのままの状態で保存し、その後は取り壊すしか方法がないと言われて今日を迎えました。

ところが昨年、不思議なご縁で、紀州文化財の保存修復工事に携(たずさ)わっている平田工務店の平田会長さんと巡り合い、観音堂を見て頂いた結果、「今なら大修理が可能です」と、予想外のお言葉を頂きました。

さて、当山の観音堂は、中央に秘仏聖(しょう)観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)、両脇に西国三十三観音霊場御本尊の御分身をお祀(まつ)りしています。その霊験(れいけん)はあらたかで、日々檀信徒の皆さまが参詣されています。特に旧初午には、七(なな)とこ参(まい)りの一つとして多くの信者さんがお参りをされます。そして、毎年旧初午当日一時から、西国三十三観音霊場を中心とした御詠歌を奉納し、祈願(きがん)法要を厳修しています。

檀信徒の皆さまには、当山観音堂大修理並びに宗祖法然上人立教開宗八百五十年をご縁として、二〇二〇年十一月に厳修されます五重相伝をぜひ受けて頂きたいと思います。

信仰心のある土地は栄えます。下津浦は千五百年以上そうやって繁栄して参りました。今は静かな港町ですが、長年にわたって人々が信心のうえに助け合って暮らしてきたふる里です。

今後も観音菩薩の御加護のもと、念仏信仰を心の支えに、安らかに楽しく心豊かに暮らして参りましょう。

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第176号

 万機普(ばんきふ)益(やく)

 

 

   (本願念仏は)あらゆる人々を必ず救います

 

お盆の季節となりました。

先日来、西日本で甚大(じんだい)な被害をもたらした豪雨(ごうう)は『平成三十年七月豪雨』と命名されたそうです。梅雨が明けて海に山に楽しいい夏休みのはずが、道路は寸断され、家は壊れて、被災地では大変な状況となっています。日本各地から多くのボランティアの方々がかけつけ、活動されているようすが報道されています。頭の下がる思いです。

阿弥陀寺では例年、一年で一番暑い時期、八月九日に施餓鬼会(せがきえ)を厳(ごん)修(しゅう)します。

お釈迦さまのお弟子の目(もく)連(れん)尊者(そんじゃ)というすぐれたお坊さんが自身のお母さんが亡くなられたあと、母はあの世のどんなよいところに生 まれ変わったのかと神通力(じんずうりき)で眺めましたら、なんと、餓鬼(がき)道(どう)に堕(お)ちているではありませんか。餓鬼道とは常に飢(う)えと渇(かわ)きに苦しむ、それは恐ろしいところです。

目連尊者が、なんとか母を救いたい一心で、

お釈迦さまにご相談した故事に基づくご供養が施餓鬼会です。

 例年、阿弥陀寺では、組寺のお坊さんに来て頂いて、施餓鬼供養のお経を唱えて頂きます。初盆施餓鬼の後、永代(えいたい)祠堂(しどう)の方々を順次供養します。

神通力のない我々にとっては、熱い夏のさなか、こんなことをして意味があるのかと疑いたくもなるような話ですが、日本では昔から伝統的なお盆の供養として宗派を超えて各お寺で営まれています。どんなに時代が変わっても、そこには目に見えない魂(たましい)の救い、ご利益があります。京都の五山の送り火や、東北のねぶた祭、等、いずれもお盆に霊を供養するための行事です。

皆さま、どうぞ、当山の施餓鬼会にお参り下さい。そして、日頃の疲れを浄化して、心も新たにお盆をお迎え頂けたらと思います。

   南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第175号

 

感謝の光に包まれて

               月空

 

 

「なながつ」となりました。「しちがつ」と言うと「いちがつ」と聞き間違えるから最近は「なながつ」と言う若者が多いそうです。

先日、仏教講演会でも発表致しましたが、阿弥陀寺の境内に新発見がありました。

本堂と裏の塀の間に小山があり、下に穴が開いていて、昔、防空(ぼうくう)壕(ごう)に使われたという場所があるのですが、この前、観音堂の調査に文化財の方が来られて、「これは古墳(こふん)ですよ」と指摘されました。それで更に専門の考古学の先生に見てもらったら、「円墳、横穴式石室」ということで、県の教育委員会の方もお見えになり、和歌山県文化財保護条例第十七条の規定に基づき、埋蔵文化財包蔵地と認定されました。まさか、六世紀後半のお墓があるとは思いもしませんでした。

今は古い瓦が山積みに収納されていて、当然、お骨もお宝もありません。

観音堂の横の閻魔堂(えんまどう)に天井をつけてもらうという話から、どんどん発展して、このような展開となりました。今、考古学者の方がボランティアで中に入れていた瓦を全て調べ出して、整理してくれています。瓦も古いので調査すると色々わかってくるそうです。 

古墳は今後、教育委員会の関係の考古学の方が詳しく調べてくれるそうです。とりあえず、適切に取り扱うようにとの県からの指令もあり、大切に保存していく所存です。

下津浦阿弥陀寺に今から千五百年も前から、埋葬(まいそう)されていた方がいたということは、私たちのご先祖さまに繋がる壮大な歴史を垣間(かいま)見(み)る思いです。また、折々にご報告致します。

     南無阿弥陀仏  合掌

 

月かげ第174号

生きて身を

蓮(はちす)のうえに宿さずば

念仏申す甲斐(かい)やなからん

                 西山上人

 

 

梅雨間近(まぢか)の緑が生き生き元気なこの季節は、雨に感謝して雨(あま)ガエルのように緑にそまりたい気分です。

前回の「月かげ」を私が書きましたら、何人かの方にご感想を頂き、そして、本山の御前さまより「また書いて下さい」と温かいお手紙まで頂いたので、お恥ずかしながら、また書いています。

御前さまが本山からご自坊に帰られる度(たび)に、お墓参りをされ、「そうせずにはおられない不思議な力が働いているのでしょうね・・・」と、本山とご自坊はほんの少ししか離れていないのに、ふるさとが恋しいという御前さまの思いを知り、私なんか、情(じょう)のないことで、お墓に参りたい人の気持ちをないがしろにしたのかもしれないと反省致しました。

父母、妻、子ども・・・。亡くなった人が眠るお墓に参ることは、やはり、会いたいという思いと共に、どうしようもなく湧き上がる思慕(しぼ)のようなものかもしれません。

東北の震災で流された遺体を今も探し続けている多くの人たちや、それを支(ささ)える方々、自衛隊の人、役場の人、ボランティアの人、忘れられない思いで苦しみながら生きておられる方々がいる・・・・。そんなことを考えさせられました。

木でも花でも、植え替えるとなかなか根付くのは難しいものです。太陽の光と雨と土、自然に強く生(は)える木もあれば、日陰(ひかげ)で枯れてしまう木もあります。

以前、庭師の方が「木も人間と一緒や。弱い木や珍しい木ほど育てにくいけど、咲いたら、特別に綺麗な花が咲くもんやで」というようなことを話して下さいました。

どんな困難なことがあっても、人々の優しい思いやりや、助けに支えられて、生かされている。みんな繋(つな)がっている。

これからも、みんなに励(はげ)まされたり、励ましたりしながら、微力ながら、前向きに、そして感謝して、生きてゆきたいと思います。

     南無阿弥陀仏   合掌

月かげ第173号

子供ら仲よく遊んでいる墓の中

  

                   種田山頭火

 

 

鯉のぼりが眩しい季節です。

「新潟の母方の三十三回忌に、いとこが集まるから、せんなんこと、いっぱいあるけど、無理して行って来る、『月かげ』はお前が書いといて」そう言いながら、今さっき随峰さんが出発しました。

母方の本家は魚沼市の広々とした平野の中にあり、美味しいお米のコシヒカリの産地です。八(はっ)海山(かいさん)が真(ま)ん前に見える、それはそれは綺麗なところです。

先日、本家の長男から、祖父母の三十三回忌をします。いとこ全員に声をかけました、皆が気を使わないようにと会費五千円だけ集めます、服装は黒でなくていい、そんな手紙が送られて来ました。子供の頃、一緒に遊んだいとこは、全国に散らばって、みんな集まるのはなかなか難しいことですが、可愛がってもらった小さかった頃を懐かしみ、じいちゃん、ばあちゃんを思いだして法事を勤めましょうと・・・・。

今回行かないと、次は五十回忌、もう会えないかもしれないから、と出かけて行きました。

大切な故郷のご先祖さまが眠る地を誰しも忘れることはありません。

遠くてお墓に参れないとか、時々聞きますが、新潟のお墓は一年の三分の一は雪の下で、和歌山のように毎日参れるような環境ではありません。どんなに遠くても、どんな環境でも、どこにいても、手を合わせて、お参りはできます。南無阿弥陀仏を唱えるだけでご先祖さまに通じる、どんな時も護ってくれている・・・。

法事やお墓参りは義務や強制ではありませんが、一人ひとりが今、生かされている自分のルーツに感謝して、天寿を全うするまで勇気を頂けるのだと思います。

阿弥陀さまご先祖さまに感謝し、共々にお念仏を喜んで参りましょう。

     南無阿弥陀仏   合掌