月かげ第181号

 

初詣(はつもうで) 小さき宮の 神仏(かみほとけ) 

   

 

                      長谷川かな女

 

 

新年おめでとうございます。

年頭にあたり今年が皆さま方にとりまして、穏やかな一年でありますことを心より念じ上げます。

さて当山では、年明けより昨年の台風の影響で着工の遅れていた観音堂の修復工事が始まります。来年の旧初午観音会式(えしき)には間に合うことと思います。今年の会式は本堂で勤めさせて頂きます。

また来年秋には、十五年半ぶりに五重相伝を厳修致します。多くの皆さまの結縁(けちえん)をお待ち申し上げます。

年が明け、私は正月五日に満六十歳を迎えます。正確には還暦(かんれき)は数え歳(どし)だと思いますが、満六十歳は感慨深いものがあります。

六十年の人生の成果は、温かな家族に恵まれたこと、お念仏の仲間に恵まれたこと、そして、本願念仏に救われたことです。

本願念仏に救われていなければ、私はどんな人生を歩んだのだろうかと思います。おそらく精神的に、もっと荒(すさ)んだ人生であったことだろうと思います。

この世に生まれて六十年が過ぎ、六十年の暦も一巡りしました。これからの人生は、より温かな気持ちで、自分が救われた本願念仏のみ教えを、自然な形でより多くの有縁(うえん)の方々にお伝えしていきたいと思います。

 

                南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第180号

光っている光っている

明けの明星が光っている

私が光っている

 

   

     釈尊お悟りのおことば

 

今年も早いもので師走となりました。

今年は六月の大阪北部地震、九月の台風二十一号と災害の続いた一年でした。しかし、それでも無事に師走を迎えることが出来ましたことを素直に喜びたいと思います。

お釈迦さまは、三十五歳の十二月八日の未明、インド・ブダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)の下に座(ざ)し、明けの明星を仰いでお悟りを開かれたと伝えられています。

光っている、光っている、明けの明星が光っている、私が光っている、と大宇宙と私が無量寿の一つのいのちであり、大調和の中にあると実感され、大いなるよろこびがむくむくと沸き上がり、大歓喜(だいかんぎ)に包まれたと伝承されています。

お釈迦さまのお悟りになられたその無量寿のいのちこそ、無量寿如来、すなわち阿弥陀仏であります。お悟りになられたお釈迦さまが大いなるよろこびに包まれた、そのことは、私たち西山のお念仏でいうところの歓喜の念仏、よろこびの念仏を表します。古き時代、よろこびと感謝は一つの同じ意味であったと伺ったことがあります。よろこびあるところ感謝あり、感謝あるところよろこびあり。

日々、感謝・合掌し「ありがとう。ありがとう」とお礼を言い合い、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお唱えし合うところ、一切の争いを超えた、安らかで楽しい幸福な世界が展開されます。

年末、ご多用なこの時期、心乱れることなく、安らかに楽しくお念仏をよろこんで参りましょう。

阿彌陀寺ホームページアドレス

http://pipi99.wix.com/amidaji

 

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第179号

阿弥陀仏が慈悲をもって

私に入って下さっている

ことに気がつくことが

大事なことです

 

   総本山光明寺第八十六世

          堀本賢順法主

地震や台風など災害の多かった今年でしたが、ようやく紅葉の季節を迎えました。各所の甚大な被害のため、屋根屋さん、大工さん、左官屋さんなどの職人さんたちは、百軒待ち何十軒待ちが当たり前とお聞きしました。

さて、去る十月二十五日、京都西山短期大学開学記念式の記念講演で、作家の村上春樹氏のお話をお聞きしました。村上春樹氏の父上が西山浄土宗の僧籍を持たれていたご縁での講演でありました。講演ではその父上のご生涯をお話されました。四十五分間という比較的短い講演でしたが、言葉に全くよどみがなく、流れるようなお話に多くの聴衆が魅了されたことでした。

講演の最後は、

「父の人生はありきたりの一人の男の人生です。それは、広大な海の中の一滴の水に過ぎません。しかし、その一滴の水の人生を申し送る必要が私たちにはあります。私たちはその責任を忘れてはいけません」

というような内容であったかと思います。

一滴の水の人生を申し送る責任、それは昔、文字を知らなかった私たちの先祖が、それぞれの時代において、父の人生、母の人生を語り継ぎ、昔話や教訓として脈々と受けついできたこととつながるような気がしました。

父の人生や母の人生をかみしめ、子孫に伝えてゆく。これこそが、最高の教育でありましょう。目から鱗(うろこ)の講演を拝聴させて頂けたご縁に深く感謝致します。

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第178号

鳥は

飛ばねばならぬ

人は

生きねばならぬ

 

            坂村真(しん)民(みん)

 

今年は、六月の大阪北部地震に始まり、台風二十一号、二十四号と災害の多い一年でした。しかし、それでもかろうじて最小限とも思える被害で十月を迎えることができましたのは、お念仏の功徳の一つである、念仏者は如来の御加護に与(あずか)るということであったと思います。

大難が小難になる、ということです。

台風二十一号の折、当山では、永代合祀墓前のお地蔵さまと六地蔵さま横の古いお地蔵さまが倒れました。しかし、お寺そのものは玄関上の白壁が少し剥がれただけで、最小限の被害で済みました。

その後、お倒れになられた二体のお地蔵さまは、現在、元どおりにお祀りさせて頂いております。どなたからともなく、私たちの受けるべき災害の身代わりとなって頂いたという声をお聞きします。

本山でも同じく、大木が数十本倒れましたが、不思議と建物への被害は、瓦(かわら)の破損のみでした。多くの木々が身代わりとなって護(まも)ってくれたのだなぁと、一同、感心した次第です。

このように受け止めるにつけ、念仏者は幸福であると思います。

法然上人以来、念仏者は大難が小難になるということを、身をもって実感し、豊かな心で日々を生き抜く復元力を与えて頂いているからです。

今年も残すところ三ヶ月となりましたが、よき一年となりますよう、お念仏をよろこんで参りましょう。

               南無阿弥陀仏  合掌

 

月かげ第177号

 念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

 

  (観音菩薩のお力を念ずれば観音菩薩のお護りに与(あずか)る)

             『法華経普門品(ほけきょうふもんぼん)』より

 

ひときわ暑かった夏がようやく終わろうとしています。

皆さま、お疲れは出ませんでしたでしょうか。また、台風二十号による被害はありませんでしたでしょうか。

さて、当山におきましては、長年の懸案(けんあん)でありました観音堂の修復工事に、去る八月二十一日より取りかかる運びとなりました。 

観音堂は、約十年ほど前に、境内のお地蔵さま横の槙の木の根をつたってシロアリが入り、お堂としてはかろうじて保っているものの、専門家の皆さんより修復不可能のレッテルを貼られ、約二~三十年何とかこのままの状態で保存し、その後は取り壊すしか方法がないと言われて今日を迎えました。

ところが昨年、不思議なご縁で、紀州文化財の保存修復工事に携(たずさ)わっている平田工務店の平田会長さんと巡り合い、観音堂を見て頂いた結果、「今なら大修理が可能です」と、予想外のお言葉を頂きました。

さて、当山の観音堂は、中央に秘仏聖(しょう)観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)、両脇に西国三十三観音霊場御本尊の御分身をお祀(まつ)りしています。その霊験(れいけん)はあらたかで、日々檀信徒の皆さまが参詣されています。特に旧初午には、七(なな)とこ参(まい)りの一つとして多くの信者さんがお参りをされます。そして、毎年旧初午当日一時から、西国三十三観音霊場を中心とした御詠歌を奉納し、祈願(きがん)法要を厳修しています。

檀信徒の皆さまには、当山観音堂大修理並びに宗祖法然上人立教開宗八百五十年をご縁として、二〇二〇年十一月に厳修されます五重相伝をぜひ受けて頂きたいと思います。

信仰心のある土地は栄えます。下津浦は千五百年以上そうやって繁栄して参りました。今は静かな港町ですが、長年にわたって人々が信心のうえに助け合って暮らしてきたふる里です。

今後も観音菩薩の御加護のもと、念仏信仰を心の支えに、安らかに楽しく心豊かに暮らして参りましょう。

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第176号

 万機普(ばんきふ)益(やく)

 

 

   (本願念仏は)あらゆる人々を必ず救います

 

お盆の季節となりました。

先日来、西日本で甚大(じんだい)な被害をもたらした豪雨(ごうう)は『平成三十年七月豪雨』と命名されたそうです。梅雨が明けて海に山に楽しいい夏休みのはずが、道路は寸断され、家は壊れて、被災地では大変な状況となっています。日本各地から多くのボランティアの方々がかけつけ、活動されているようすが報道されています。頭の下がる思いです。

阿弥陀寺では例年、一年で一番暑い時期、八月九日に施餓鬼会(せがきえ)を厳(ごん)修(しゅう)します。

お釈迦さまのお弟子の目(もく)連(れん)尊者(そんじゃ)というすぐれたお坊さんが自身のお母さんが亡くなられたあと、母はあの世のどんなよいところに生 まれ変わったのかと神通力(じんずうりき)で眺めましたら、なんと、餓鬼(がき)道(どう)に堕(お)ちているではありませんか。餓鬼道とは常に飢(う)えと渇(かわ)きに苦しむ、それは恐ろしいところです。

目連尊者が、なんとか母を救いたい一心で、

お釈迦さまにご相談した故事に基づくご供養が施餓鬼会です。

 例年、阿弥陀寺では、組寺のお坊さんに来て頂いて、施餓鬼供養のお経を唱えて頂きます。初盆施餓鬼の後、永代(えいたい)祠堂(しどう)の方々を順次供養します。

神通力のない我々にとっては、熱い夏のさなか、こんなことをして意味があるのかと疑いたくもなるような話ですが、日本では昔から伝統的なお盆の供養として宗派を超えて各お寺で営まれています。どんなに時代が変わっても、そこには目に見えない魂(たましい)の救い、ご利益があります。京都の五山の送り火や、東北のねぶた祭、等、いずれもお盆に霊を供養するための行事です。

皆さま、どうぞ、当山の施餓鬼会にお参り下さい。そして、日頃の疲れを浄化して、心も新たにお盆をお迎え頂けたらと思います。

   南無阿弥陀仏  合掌

月かげ第175号

 

感謝の光に包まれて

               月空

 

 

「なながつ」となりました。「しちがつ」と言うと「いちがつ」と聞き間違えるから最近は「なながつ」と言う若者が多いそうです。

先日、仏教講演会でも発表致しましたが、阿弥陀寺の境内に新発見がありました。

本堂と裏の塀の間に小山があり、下に穴が開いていて、昔、防空(ぼうくう)壕(ごう)に使われたという場所があるのですが、この前、観音堂の調査に文化財の方が来られて、「これは古墳(こふん)ですよ」と指摘されました。それで更に専門の考古学の先生に見てもらったら、「円墳、横穴式石室」ということで、県の教育委員会の方もお見えになり、和歌山県文化財保護条例第十七条の規定に基づき、埋蔵文化財包蔵地と認定されました。まさか、六世紀後半のお墓があるとは思いもしませんでした。

今は古い瓦が山積みに収納されていて、当然、お骨もお宝もありません。

観音堂の横の閻魔堂(えんまどう)に天井をつけてもらうという話から、どんどん発展して、このような展開となりました。今、考古学者の方がボランティアで中に入れていた瓦を全て調べ出して、整理してくれています。瓦も古いので調査すると色々わかってくるそうです。 

古墳は今後、教育委員会の関係の考古学の方が詳しく調べてくれるそうです。とりあえず、適切に取り扱うようにとの県からの指令もあり、大切に保存していく所存です。

下津浦阿弥陀寺に今から千五百年も前から、埋葬(まいそう)されていた方がいたということは、私たちのご先祖さまに繋がる壮大な歴史を垣間(かいま)見(み)る思いです。また、折々にご報告致します。

     南無阿弥陀仏  合掌