月かげ第188号

お盆には

先祖よろこぶ

お墓におまいり

 

        詠み人知らず

 

お盆です。

先日、NHKのプロフェッショナルという番組を見ました。父親が中国(ちゅうごく)残留(ざんりゅう)孤児(こじ)の日本人で、母親が中国人という新津春子さんという方が取り上げられていました。 

中国にいた時も家族で日本に来た時も差別を受けてきた。と言っておられました。そして、それでも必死に働いてきたそうです。今、彼女は世界一清潔な空港といわれる羽田空港の清掃作業員五百人の頂点に立つリーダーです。トイレの隅々まで夜中三時間かけて掃除される姿は神さまと言いたくなるほど、丁寧な掃除でした。中国から高額なお給料を出すから来て欲しいとオファー(依頼)もあったそうですが、まだ今の職場に恩返しが出来てないから、と断ったそうです。

私が結婚前に海外青年洋上大学(総理府主催)で中国に初めて行った時に、現地で出逢った中国人のおじさんは、「子供の頃に日本人に両親を殺された」と、おっしゃっていました。そして、「でも今は恨(うら)んでないですよ。和歌山の新宮にも行ったことがあります。」と流暢(りゅうちょう)な日本語で話してくれました。私はそれ以来、その名前も知らない中国人の方が忘れられません。

時代に翻弄(ほんろう)されて、辛い経験をされた人は多くいますが、そんな中でも、助け合ったり、認めあったり、国を超えて優しい人の心は共通だと思います・・・新津さんみたいな素敵な方がいてくれる。そう思うのです。

新津さんは「掃除していて、上司に一度も褒(ほ)められたことがなかったけれど、最年少で日本一の清掃員に選ばれた時に上司が、「あなたが一番になると思っていたよ」と言われた時は本当に嬉しかった。」と涙を流して話されていました。

新津さんは道徳の教科書にも紹介されているそうです。

南無阿弥陀仏  合掌   s

月かげ第187号

いっしょうけんめいの人に

仏さんが見える

 

 

      大佛師・松本明慶師

 

いよいよ夏が近づき、あと一ヶ月でお盆となります。

天才と云われる日本一の大佛師、松本明慶先生が、随峰さんに、「一日は二十四時間、八時間仕事して、八時間寝て、八時間自分の好きなことをすればよい」ということを言っておられたと、聞きました。三百六十五日休みなし、そうおっしゃっておられた先生が、何千何万体もの仏像を作り続け、そして四十人を超えるお弟子方を育てられる日々を通してのお言葉です。休む暇などありません。

どんな時も活き活きと優しいお言葉で、人と対応され、そしてあの大きな大仏や繊細な小さい仏様まで作り出される力は神技(かみわざ)としか言いようがありません。

一日二十四時間、人それぞれ、どんな風に時間を使うかは自由です。だけど、明慶先生のお言葉を聞くと、積み重ねられた、努力と鍛錬(たんれん)の日々がその人を作ってゆくのだなぁと思うのです。

人に強制される人生は辛(つら)いばかりだと思います。自分の人生は一度限り、そして身体も心も、神仏とご先祖さまからの預かりものです。お墓に入るまでどれだけの時間が残されているのでしょう・・・。まだまだ人生は続きます。誰もが天才になれる素養があるのだと思います。 自分自身の至らなさを反省しつつ、少しでも近づきたい思いです。
    南無阿弥陀仏  合掌                  (文・さよ)

月かげ第186号

いちばんたいせつなことは

目に見えない

                星の王子さま

                 サン・テグジュペリ

 

 

 紫陽花(あじさい)の綺麗な季節となりました。

先日、高野山にお参りしました。お店の前にコンペイトウという紫陽花が鉢に植えられていました。毎年、庭中紫陽花を咲かせているお寺の奥様に携帯で写した写真を送って、名前を聞きました。丁度私が訪ねた時に私の父のことを思い出していたそうで、偶然だと喜んで下さいました。

お寺に住んでいて、法事やお葬式、そして色々な法要に参加させて頂きますと、時々檀家さんに不思議なお話を聞きます。偶然かもしれませんが、目に見えない世界から、知らされたような気になります。

亡くなった人を思い出して、一周忌、三回忌、七回忌・・・・。とつとめる内に、皆、年をとって、子供も大人になり、自分もいい年になって、あの頃の母の歳になったなぁ、と思います。

令和になって、時代が変わり、インターネットや自動運転、自動改札と、どんどん便利になりますが、便利なようで、機械に振り回されているような気もします。本当に大切なものを見失わないようにしないといけないなぁ、と思います。

お寺を大切に思ってくれる檀家さんや、野菜を作って持って来てくれる方や。毎朝、道路を掃除してくれる方や、庭掃除を手伝ってくれる人、孫を大事に育てているおばあさんやおじいさんの心・・・。 

心は目に見えないけれど、家族や親族の集まる法事は、心が目に見える法要じゃないかと思います。多分、気づかない人も多いけれど、三十三回忌や五十回忌になった頃には、心がつながって、その頃の祖父母の気持ちがやっとわかります。

お寺という特殊な場所がそんな風に日本人の優しい心を育ててくれているような気がします。          (文・さよ)

南無阿弥陀仏    合掌 

月かげ第185号

令和(れいわ)元年(がんねん)

 

令(れい)月(げつ)にして 風(かぜ)和(やわ)らぐ

 

(よき月が出て 風は和らかに

渡ってゆく)

 

令和元年となりました。

よい響きの美しい名の元号だと思います。元号の如く、穏やかな日々が続くことを願います。

さて、去る四月二十五日、総本山光明寺御忌(ぎょき)の満座(まんざ)に、下津町西山浄土宗総代連絡協議会より、バス四台、百八十五名の団参が駆けつけて下さいました。当山からも、梅田地蔵寺と合わせて四十名を超える皆さまにお参り頂きました。

当日は、総勢四百名を超える満堂の中で、法然上人のお徳を称(たた)える御忌満座の疏(しょ)を拝読させて頂きました。

疏を拝読中(はいどくちゅう)は、当初、無心でありましたが、途中、ああ、平成が終わってゆく、と不思議な感情に包まれました。

人々の心は温かく、弥陀のお慈悲に潤(うるお)っています。(蒙(む)潤(にん))

今回は大勢のお参り、ありがとうございました。

私はただ、感謝の光に包まれて、お念仏をよろこび、自ら南無阿弥陀仏を信じ、伝えてゆくばかりです。

 南無阿弥陀仏    合掌

月かげ第184号

遷座(せんざ)祭(さい)

春光(しゅんこう)射(さ)して

鎮(しず)まりぬ

 

月空

 

 

いよいよ新元号元年を迎えます。

去る三月二十四日午後三時より、総本山光明寺において、新しくなった鎮守社の遷座祭が厳修(ごんしゅう)されました。

 光明寺の鎮守社は、往古(おうこ)より熊野本宮大社の熊野(くまの)大権現(だいごんげん)さまと、石(いわ)清水(しみず)八幡宮(はちまんぐう)の八幡大菩薩さまをお祀りしています。二柱(ふたはしら)の神さまは共に本地(ほんじ)阿弥陀仏垂迹(すいじゃく)神(しん)です。

 当日は、石清水八幡宮さまより四名の神職がお見えになり、丁寧な作法で、ご法主猊(ほっしゅげい)下(か)導師のもと、遷座祭が厳修されました。

 朝から晴れたり曇ったりの天候でありましたが、遷座祭が終盤を迎え、代表者が玉串(たまぐし)を捧げた刹那(せつな)、雲間より陽光が射し、辺り全体が光に包まれました。

 「あっ、神さまが鎮座(ちんざ)なされたな」

と、感じたことでした。

 後日、改めて石清水八幡宮さまへお礼に伺ったおり、遷座祭で斎(さい)主(しゅ)を勤められた西中道(にしなかみち)氏と、しばらく歓談(かんだん)致しました。

西氏がおっしゃいますには、「神道には教義がないので、自由な形でお参りをされたら結構です。私は日々、神さまのご恩に感謝し、一生修行して参りたいと思っています」と、にこやかにおっしゃられておりました。西氏のお気持ちが通じてきて、ほのぼのとしたひとときでありました。

 神仏に畏敬(いけい)の念を抱(いだ)き、感謝を捧げて暮らすことは、神道(しんとう)においても、仏道(ぶつどう)においても同じであることを再確認させて頂いたことです。


    南無阿弥陀仏    合掌

月かげ第183号

菜の花や

月は東に日は西に  

 

 

与謝蕪村

 

 

 

春のお彼岸が近づいて参りました。

先日、有田市民会館で映画を見ました。和歌山を元気にする活動をしている人たちが主催するイベントで、友だちが司会をしていました。映画は「ガイアシンフォニー第八番」でした。映画の中で美智子妃殿下のお話が紹介されていました。その中に、「苦しみや悲しみを胸の中に押し込んで、心の中で泣いている人がいます。そのような時、音楽を聴くことによって、心の中の涙が外にあふれ出します。だから音楽は必要なんです。」というような、お話でした。

いつまでも泣いてばかりはいられないと、元気にふるまう中で、頑張りすぎて自分の心や身体が悲鳴をあげてしまうこともあります。だから、そんな時はゆっくり音楽を聴いて、涙したり、元気に歌ってみたり、音楽の力はそんな風に人を癒(いや)してくれるのだなぁと思いました。

今、阿彌陀寺では観音堂の修復工事中です。シロアリに食べられたボロボロの木も、まだ使える木と使えない木に分けて、修復されます。建立当初の元気な木も残っています。木は水に弱いから雨漏りは大敵、上手に乾燥させて、大事にしたら何百年でも持つということです。

観音堂の裏に発見された古墳(こふん)も珍しい形態だそうです。河内長野市から来られた横穴式古墳の専門家の先生も驚いて、上の部分は徳島の古墳に似ているとおっしゃって、これからまた本格的に調査してくれることになりました。

地球は生きています。そして、私たち人間も進化しながら、繋(つな)がりながら生きています。亡くなられた人たちが応援してくれている、今の頑張りが未来に続く・・・と思いながら、全てのいのちを大切にしていきたいと思います。  合掌   

(文・さよ)

月かげ第182号

蒙(む)潤(にん)

(潤(うるお)いを蒙(こうむ)る)

  

   

 

早二月です。

水仙の花が咲いています。間もなく梅も開花するでしょう。

寒い季節に咲く花は、ひときわ可憐に感じます。われわれ人間もまた、冬は自然と身が引き締まるように感じられます。

さて、仏教に蒙(む)潤(にん)という言葉がありますす。潤(うるお)いを蒙(こうむ)ると書いて「むにん」と読みます。

蒙(む)潤(にん)とは、善(ぜん)知識(ちしき)(本願念仏の語り部)より、お釈迦さまが説かれる阿弥陀仏の本願念仏の謂(いわ)れを聞いて、私たちの心が、ちょうど真夏の夕立の雨を浴びて干からびた草木が活き活きと潤った状態のさまとなることを指します。私たちは、善知識より、お釈迦さまが説かれた阿弥陀仏のご本願による救済の法門を聞いて、初めて安らかに楽しい幸福な生活を送ることができるのです。さらに、お釈迦さまの本願念仏の教説を聞いた人は、救済の自覚がなくても、臨終で必ず阿弥陀仏の来迎に与(あずか)るということです。

当山檀信徒の皆さまには、是非、来年厳修される五重相伝に結縁されることをお勧め致します。

五重相伝を受けると人生観が変わります。滅罪と往生と御加護を実感したみほとけと二人連れの人生が始まります。

お申込みをお待ち申し上げます。

南無阿弥陀仏  合掌