初めよく
中よく
終わりよく
『法句(ほっく)経(きょう)』より
梅雨時です。
梅雨は、じめじめとして、うっとうしく感じますが、この時季は、紫陽花が咲き、かたつむりが遊び、蛍が飛び交う季節でもあります。かれらにとっては、その一生の中でも、特別な季節です。
さて、『法句経』に、「初めよく 中よく 終わりよく」と、説かれています。
昔、得度の師である長空(ちょうくう)師のおことばを勘違いして、「終わりよければ全てよし、ですね」と、念を押したところ、「初めよく 中よく 終わりよく、です。終わりよければ全てよし、などという薄っぺらいものではない」と、叱られたことを思い出します。
わが宗のみ教えは、安心(あんじん)の上の起(き)行(ぎょう)でありますが、わが身を振り返りますと、ご縁任せとはいうものの、先徳の皆さまのような、衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)の人生とは決して言いきることができないのが正直なところです。
ただ、ご本山に勤めさせて頂くようになって、ご本山で働く職員さんの中に、ご本山に対する極めて深い愛山(あいざん)護法(ごほう)の思いを持って、日々精進しておられる方々がいることを知り、「私もまた」との思いで、過ごさせて頂いております。それもまた、起行でありましょう。
よりよい宗門、よりよい本山、念仏の弘通(ぐづう)を目指して、念仏の日暮らしを続けて参りたいと思います。
合掌
注・衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)
(衆生は無辺なれども誓って度せんことを願う)
衆生は数限りなく存在するが、誓って、全員を救済したいと願う、という意味。