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月かげ128号

大いなるものにいだかれあることを

  けさふく風のすずしさにしる

                   山田無文老師

 

 

八月になりました。今年も、お盆の季節が巡って参りました。当山でも、お盆の準備を少しずつ進めています。

さて、世間の風潮(ふうちょう)では、ご先祖さまの供養やお葬式を簡単に済ますことが増えていますが、残念に思います。両親やご先祖さまへの感謝の思い、人の命が、死んで消えてなくなるのではないという実感があれば、そのようなことはないと思います。

お盆は、あの世とこの世が混(こん)然(ぜん)一体(いったい)となる、一年のうちでも特別な時間です。

子供の頃、私の故郷の新潟県の魚沼地方では、八月十三日の夕暮れ時から、子供たちが提灯(ちょうちん)を持って、各家々から一斉(いっせい)にお墓参りに出かけたものでした。広い墓地にはロウソクの灯(ひ)がともり、子供たちは、お墓のお供え物を頂いて帰ったものでした。墓地全体がたくさんのロウソクの炎にゆらゆら揺れて、幻想的で、少し怖い風景であったことを覚えています。お墓に佇(たたず)んでいると、(死後の世界はきっとある、だからご先祖さまたちを全ての家々の人々がお祀(まつ)りされているのだろうなぁ・・・)と、おぼろげながら感じたものでした。この世とあの世が、表舞台と舞台裏であることが実感されれば、自ずと先祖供養の意味も変わってくると思います。

人の命は大切にしなければならない。この当たり前の真理を忘れたとき、国は戦争へ近づく道を選び、原子力を推進し、子供たちは命を軽んずる道を歩むのだと思います。

お盆は自分の命と他者の命と亡くなった方々の命が通い合う特別な時間です。

   南無阿弥陀仏

                     合掌