月かげ135号

  夕日

親を思わば 夕日を拝め

親は 夕日の真ん中に

西の空見て 南無阿弥陀仏

弥陀は 夕日のその先に 

           玉虫

        小説『親鸞』(五木寛之著)より

 

紀州下津浦、ひなびた小さな港町にある古いお寺。そこは、いにしえよりの念仏者のふるさと。千年の昔より念仏の声が響き、八百年前に海路より法然上人の本願念仏が伝わる。六百年前には明秀上人が訪れ、爾来(じらい)、念仏の声絶ゆることなし。現世極楽の聖地。※住職の寺報「月かげ」をご覧下さい。」

 

 この度、当山のホームページを作成致しました。総本山光明寺のホームページのリンクからもご覧いただけます。上記の内容で紹介文を書かせて頂きました。遠方にお住まいのご子息さんや、地区内、地区外の檀家さん方に、阿彌陀寺を身近に感じて頂ければと思います。

 さて先日、テレビで心療内科医の梅原純子先生が、「レモンを包丁で半分に切って、そのレモンを自分の口に絞ると思って下さい。自然とつばが出るでしょう。つまり思うだけで身体が反応する。これは心と身体が繋がっているということです」と話されていました。

 病(やまい)は気からとよく言われますが、心が健康ということは大切なことです。身体を患っても、心が元気な方は前向きな人生を歩まれるでしょう。しかし、身体が健康でも心が沈んでいる方は、本当の幸福とはいえません。まずは、日々、明るい気持ちで生活することが元気の源であるということだと思います。

 心と身体が調和し、信仰ある人生が理想です。そして、その信仰とは、決して他の信仰を認めない原理主義ではありません。

 法然上人は、念仏信仰以外の信仰を否定されることはありませんでした。

 愚鈍(ぐどん)の身にふさわしい信仰は本願念仏であると戴いて、智者のふるまいをせず、ただ自らお念仏を称え、多くの方々にお念仏を勧められました。

 今、日本の社会が危うい・・・。信仰心がすたれ、残酷な事件があとを絶ちません。

 心の健康と健全な信仰生活が、真の幸福な人生を開き、総じては豊かな社会をつくってゆくのだと思います。

南無阿弥陀仏  合掌