月かげ第144号

草も木も枯れたる野辺(のべ)に

ただひとり

松のみ残る 弥陀の本願

 

                   知恩院御詠歌

 

 

本山の紅葉の賑わいも終わり、早や師走です。

今年も、多くの方々との出会い、再会と、別れがありました。特に今年は、印象深い別れが多かったように思います。

一般に死別は、永遠の別れと理解されます。確かに、肉体的に触れ合うことはできなくなります。しかし、『阿弥陀経』に「倶会一処(くえいっしょ)」とありますように、われわれは、やがては浄土で再会する身であります。

念仏に出遇えた方と、そうでない方の差は大きいと思います。

かつて、私の父は、微笑みを浮かべるかのように往生しました。その時、看取って頂いたお医者さまが、「このような亡くなられ方は初めてです。勉強になりました」と、おっしゃられました。父は生前、五重相伝を受けており、私の腕の中で念仏を称えながら眠るように往生しました。この時以来、私は阿弥陀さまによる臨終の来迎(らいこう)と、亡き人との浄土での再会を確信するようになりました。

念仏は、気休めの教えでも、道徳でもありません。現世でも、来世でも、幸福になるみ教えです。今まさに、ここで、出遇うべくして出遇った法門です。

年末にあたり、今年一年とわが身を振り返り、さらにお念仏をよろこばれることを念じ上げます。

南無阿弥陀仏  合掌