月かげ第244号

   西行

   桜になりし

   月夜かな

       

           

           正岡子規

 

 

今年の旧初午(きゅうはつうま)観音(かんのん)会式(えしき)(三月十九日)は天候に恵まれ、穏やかにお勤めすることができました。暖冬で桜も早く咲くと言われていましたが、ご本山で加行が始まる二十四日頃には、また寒さが戻(もど)って、雪もちらつく程寒くなりました。それでも、ようやく桜も咲いてきました。

今年は立教(りっきょう)開宗(かいしゅう)八百五十年の年なので、ご本山でも色々な行事があります。五月には下津町梅田の地蔵寺の輪番(りんばん)御忌(ぎょき)もあります。

先日の旧初午観音会式では、西国三十三所観音霊場の御詠歌(ごえいか)奉納(ほうのう)を動画に映(うつ)しました。時代と共に御詠歌を詠(よ)める方が高齢化してきているので、記録してゆくことにしました。来年もまた撮(と)りたいと思います。ユーチューブというインターネットのサイトで動画が見えますので、ご覧ください。アドレスを記載しておきます。 

今、日本全国でお祭りや行事が少子高齢化やコロナ禍の影響もあり縮小したり、廃止されたりしていますが、神仏を敬(うやま)うことを忘れては真の幸福はないように思われます。

若い頃にはただ楽しかったお祭りも、護(まも)る側になれば大変なご苦労があると思いますが、懐かしい子供の頃の思い出や故郷(ふるさと)の神社やお寺を思い出すと、ご先祖さまのことも思い出されて、みんなに愛されて生きて来たことに喜びが湧(わ)いてくると思います。

四月八日は花まつりです。甘茶(あまちゃ)供養(くよう)もあります。どうぞまた、阿弥陀寺にお参り下さい。  ⓢ

    南無阿弥陀仏     合掌

 

月かげ第243号

補陀落(ふだらく)や

霧(きり)晴れ渡り

那智(なち)の滝(たき)

                月空國孫(がっくうくにみま)

 

 

 

去る二月六日、かねてより念願であった新宮の神倉(かみくら)神社(じんじゃ)の御(お)燈(とう)祭(まつり)に参拝しました。

家内と家内の姉と三人で、四年ぶりに行われる御燈祭の上(あが)り子(こ)の火が五三八段に及ぶ長い石段を駆け下りるのを待ちました。貴重な体験であり、神の存在を身近に感じることができました。

翌日は、久々に那智の滝にお参りし、熊野那智(なち)大社(たいしゃ)と青(せい)岸(がん)渡寺(とじ)に参拝して帰山しました。 

両日ともに快晴の上天気で、初日には、新宮に向かう途中、串本の橋(はし)杭岩(くいいわ)を眺め、和歌山に住む幸福をしみじみと味わいました。

家内の姉の宣子(のぶこ)さんは個性的な人でカナダ在住ですが、今一時帰国していて、姉とはしゃぐ家内が小学生のようで面白かったです。

この二月半ば、個人的に嬉しいことがありました。数年来の霧が晴れたような気分です。 

折しも、二月七日、那智の滝の滝(たき)壺(つぼ)に美しい虹が架かっていました。

心洗われ、感動しました。人生は美しい・・・・。素直にそう思えました。

                

                   南無阿弥陀仏     合掌

月かげ第242号

世間(せけん)虚仮(こけ) 唯仏(ゆいぶつ)是(ぜ)真(しん)

                         聖徳太子

 

 

二月になりました。

今年は元旦から能登半島地震があり、大変な幕開けとなりましたが、節分、立春を境に明るい一年となることを念じます。

去る一月二十一日(日)、第八一三回御忌会(お講)を厳(ごん)修(しゅう)致しました。例年通り、合わせて新亡精霊のご回向(えこう)もさせて頂きました。

岩崎順子先生のご法話に、一同、心洗われた貴重なひとときを過ごさせて頂きました。

さて、能登半島地震で被災された方々を思うとき、心が痛みます。 インターネットで、俳優の杉良太郎さん(七十九歳)が炊き出しボランティアをされ、感激された被災者の方々が、涙を流して喜んでいる姿を拝見し、私も深く感銘致しました。 

人間の生き方は、最終的には、やはり行動に顕(あらわ)れるのだなと勉強になりました。

私も、今年一年、世界平和と人々の心の平安を願いつつ、自分にできることを、ささやかながら実践し続けようと思いました。

南無阿弥陀仏      合掌 

月かげ第241号

 念ずれば花ひらく

 

       

             坂村真民

 

 

新年おめでとうございます。

令和六年になりました。今年は辰年です。辰は龍のことでもあり、十二支の中で唯一の空想上の生きものです。お寺の欄間(らんま)や天井などにも描かれ、仏教の守護神でもあります。

縁起の良い干支でさまざまな願いをかなえてくれるだけでなく、あらゆる物事をいい方向へ導いてくれる力があるとされています。

年頭にあたり、ひとつだけ辰に願い事をしてみようかと思います。

昨年、十二月にみなべの母が亡くなりました。保寿九十七歳でした。長年お寺の生活で色々な方々のお葬式に携(たずさ)わって来て、父も 送り、母も送り、とうとうこれで無事に親孝行も済んだかと思いました。親孝行というほどのことは何もできずじまいでしたが、新潟の義父が「親を送ったから私の仕事は終わった」と言っていたのが思い出され、私もしみじみしました。いつの間にか、歳を重ね、今こうして生かされていることに感謝しかありません。今年一年が、皆さま方にとりまして、よき一年となりますように・・・。

また阿弥陀寺にお参り下さい。  ⓢ  

               南無阿弥陀仏     合掌

月かげ第240号

生きて身を

蓮(はちす)の上に宿さずば

念仏申す

甲斐(かい)やなからん

 

            西山上人

 

 

師走となりました。

今年はどんなことがあったか振り返りますと・・・。ロシアとウクライナの戦争、イスラエルパレスチナの戦争・・・・。大変な年でした。

十月の末に、ひとりの七十代の男性が阿弥陀寺にお参り下さいました。その方は子供の頃に下津浦に住んでおられたということで、ある檀家さんに大変お世話になったからその方のお墓にお参りしたい、ということでした。

お世話になられた檀家さんは、もう既にお亡くなりになられ、今はお婆さんが長生きされていますが、娘さんの所に行かれて、音信不通となってしまっています。

男性のお話によりますと、高校卒業後、日本各地を転々と周り、いろんなお仕事をして頑張って来られたそうです。家族がおられるのかどうかも詳しくお聞きしませんでしたが、不遇な幼少期に、優しい阿弥陀寺の檀家さんにお世話になったことが懐かしく、自分もこの歳になったからと、昔を振り返って何十年かぶりに下津浦に来られたということでした。 

野志方丈さんの逸話(いつわ)もお聞きして、一緒に懐かしみました。方丈さんは厳しい人だったというお話はよく聞きますが、そのような昔話は、それぞれの人の心に鮮やかに残っています。今は叱(しか)ってくれる人が少ない時代だから、世の中がむちゃくちゃになってきて、精神バランスがとりにくい時代だとも思います。厳しさの中に愛情があるかどうか、皆が幸せに暮らせるように引っぱってくれる、そんなリーダーが求められています。

そして、その男性は用意していた白いのし袋を差し出して「お供え下さい」そうおっしゃったのです。それでお名前をお聞きしたのですが、秘密にしたいからと、言わないで帰られました。後で開けてびっくりしました。

高額なお供えをして下さいました。今回のお供えは先月号でお願いした神野志方丈さんの扁額(へんがく)に使わせてもらうことにしました。他にも寄付をして下さっている方が何名かおられます。本当にありがとうございます。

毎年色々なことがありますが、地元の方や遠方の方、縁ある皆さまの信仰心に、心が洗われます。心より世界平和を願います。

来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。ⓢ

    南無阿弥陀仏     合掌

月かげ第239号

 御身(カラダ)と精神(ココロ)を

 大切にして

 充分人生を

 愉(たの)しみなはれ

 

            美山荘 中東吉次  (『美味しんぼ』より)

 

 

今年も残すところ二ヶ月となりました。

つい先日、うちの方丈(ほうじょう)にある若い男性が「方丈さんは食事とか作ったりするんですか」「洗濯とかするんですか」と尋ねたそうです。

方丈は、「食事はほぼ作ったことないです。洗濯はたまにするけど、ほぼしていません」そう答えたそうです。するとその男性が、「ええなぁ・・・。昭和の男は羨(うらや)ましい」そう言っていたそうです。あたり前に食事が出てきて、掃除も洗濯もしてくれる、それが昭和の男かなぁ・・・。その男性は一日くたくたに働いて帰ってからも、食事を作ったり、洗濯したり、子育ても手伝って、休む暇もない、という話でした。そこで、私が一言、当然ですが、「昭和の男でも、食事洗濯を毎日している人は沢山いてるよ。方 丈はしてないけどね」と言いたくなりました。

だけど、私が考えるに、「うちのお父さんは帰ったら、何(なん)もせーへん」と言うていたある息子さんの話を聞いて、「そりゃ、お父さんは何(なん)もせーへんのあたり前よ、何(なん)もせんでもええよ」そう言ったことがあります。そのお父さんがどれだけ働いているかを知っていたからです。そして、「昭和の男はいいな」と言うていた男性もすごく頑張って働いている人なので、気の毒になりました。

 奥さまも子育てを一人で大変だと思いますが、ママ友とランチに行ったり、親に預けたり、それなりにストレス解消はしていると思います。それぞれ、人によって環境も性格も体力も違うのでよその家のことはいえませんが、やっぱり自分の心に正直に、そして、我慢せず、ストレスはためないのがいいと思います。

昔、あるお寺の奥さまが本堂の建て替えで瓦(かわら)を洗う仕事を檀家の皆さんと一緒にして、檀家の方々は交代するのですが、その奥さまは毎日働き続けて、本堂が出来たとたんに亡くなったとお聞きしたことがあります。昭和の時代の話です。

誰も自分と変わってはくれません。だけど、自分を守るのも自分です。横にいて気がついてくれるかと言えば、そんなこともないのです。その話をお聞きして、教えられた気がしました。言いたいことははっきり言わないとわからない。無理はせず、長い人生を自分なりに楽しく生きて欲しい。

死んで仏様になったと言われても、悲しいばかりです。

皆が羨(うらや)むほどに、仕事も楽しく、無理をせず、元気に生き生きとそれぞれ輝いて欲しいと思います。

 

   南無阿弥陀仏      合掌         ⓢ

月かげ第238号

名月や

池をめぐりて

夜もすがら

         松尾芭蕉

 

 

お彼岸が終わり少しずつ涼しくなって参りました。

さて、十月は神無月(かんなづき)といわれます。(本来は旧暦なので十一月頃です)日本全国の神々が島根県出雲大社に集まって各地の神々が不在となるという説や、神聖な五穀(ごこく)を収穫し神々に捧げて感謝する月、「神の月(かむなづき)」などの説があるようです。いずれにせよ、十月から十一月にかけては、収穫の季節であり、収穫した五穀を神仏に捧げて感謝する月、感謝の心を神仏に捧げる月です。

人間の持つ感情で最も尊い感情は感謝の心だといわれます。西山のみ教えでは、西山のお念仏は、感謝の念仏、よろこびの念仏といわれますが、感謝の念仏は、よろこびの念仏の一段上に位置するお念仏であります。

自分の心から感謝の念が消えたとき、それは神仏の世界から遠ざかっている証拠だと思います。

日々感謝しながら生きてゆけることは幸福です。

昔、住職をしていたお寺の当時の総代さんの奥さまが、とても信仰心の篤(あつ)い方でしたが、いつもお供え物ののし紙に「感謝」と書いておられました。私も長い時間を経て、ようやくその心境が理解できるようになりました。

神無月・・・・。

あらためて神仏の御加護に感謝致しましょう。

 

           南無阿弥陀仏      合掌