月かげ第200号

雨降って

地固まる

 

 

 

雨が降り続いて、日本各地、大変な被害となりました。お見舞い申し上げます。

ここ下津浦も連日の雨で阿弥陀寺の本堂の戸は一週間ほど開けずに過ごしました。雨戸を閉めて真っ暗な本堂は、それでも天井が高いので、空気がひんやりしています。もうすぐお盆ですから、塔婆を書いたり、施餓鬼(せがき)の準備をしていました。

今年は新型コロナウイルスで自粛(じしゅく)ですが、当山ではとりあえず、施餓鬼会は八月九日にとり行います。組寺の方丈さま方は欠席となりますが、本堂は例年どおり開けっ放しで、三密をさけて、扇風機を回します。どうぞマスクをご持参下さい。

こんな状況の中、多くの医療従事者の方々のご活躍には頭が下がります。どんな状況下でも臆することなく、堂々とテキパキと対応されて素晴らしいなと思います。感謝しかありません。人の命を預かるということは大変なこ とです。

お寺は亡くなられた方の魂(たましい)を預かる場所なので、また全然違います。目に見えない魂を預かるということは別の意味で大変です。

「バチが当たる」とか「真面目にせー」とか、いろんな意味でよくおばあちゃんに叱(しか)られました。

大人になった今、そんな目に見えない因果(いんが)の法則がよくわかるようになってきました。たとえば、食べすぎたら太る、とか、無理したら倒(たお)れるとか・・・。

当たり前のことですが、その当たり前のことがなかなか見えないと出来ない。ウイルスが飛んでいてもマスクを付けないことと一緒です。日本人は案外綺麗好きなので、感染者も少ないともいわれています。これは、目に見えないものを大切にする日本人の習慣とか文化が、そうしてるのじゃないかとも思います。「お墓参りだけが楽しみなんや」そう言ってにっこりされる檀家さん方に会 うと、やっぱり、これが最高の幸せな生き方だな、そう感じます。どんな時でもこころの支えとなって下さるご先祖さまがここにいる・・・。お盆にはご先祖さまが帰ってきます。今年も、阿弥陀寺の大施餓鬼会、どうぞお参り下さい。

お待ち申し上げます。

南無阿弥陀仏   合掌 ⓢ

月かげ第199号

 皆さん信仰(しんこう)持ちなされ

 信仰なしには生きられぬ

 心に深く弥陀仏(みだぶつ)の

 慈悲(じひ)のひかりを持ちなされ

                  関本諦承(せきもとたいじょう)上人

 

七月になりました。

作家、村上春樹さんが『猫を棄てる』という本を出版されました。村上春樹さんのお父さんは西山浄土宗のお寺の生まれなので、村上さんの新作が出ると楽しみに読んでいます。今回はお父さんのことを詳しく書かれた本なので、さっそく読みました。

大正生まれのお父さんが、多くの戦死された友人や中国兵の方の菩提(ぼだい)を弔(とむら)い、全ての戦死者のために毎朝おつとめされていたこと等、書かれていました。だけど、村上さんは、戦争に行って来たお父さんの若かりし頃の話は詳しく聞いていない、とも書いていて、そうであっただろうという風に、お父さんが三回も召集(しょうしゅう)されたこと、そしてその帰属(きぞく)部隊のことが書かれていました。

多分、そんな風に両親が戦争に行ったことは知っていても、戦争の話を詳しく聞いていない子供が多いのではないでしょうか。私も母から大阪の空襲(くうしゅう)で、家が燃えて、中に大事な物を取りに行こうとしたら「いったらあかん」と叱(しか)られて、怖い火の海を逃げた、という話を聞いていますが、詳しく聞いたことはありません。

私の母の兄も若くして戦死しました。

村上さんのお父さんの千明さんは私の父と同じ時代に西山専門学校に通っておられたので、父もよく存じていると話していました。先住の神野(こうの)志(し)方丈さんも多分、同じ時代に西山専門学校に通っていたと思います。

あの時代、若者の多くは命を奪(うば)われ、母や妻は悲しみ、日本中、世界中、悲しみと憎しみが渦巻(うずま)いていたのだろうと思います。村上春樹さんの作品に流れる「反戦と平和」は、私たちの世代が次の世代に継承(けいしょう)しなければいけない、幸せに生きる方法だと思います。

村上さんのお父さんが毎朝、必ずおつとめをされていたこと、それはお父さん自身の心の支えでもあったと思います。

弟さんをご病気で亡くされた、大佛師・松本明慶先生が以前、

「だから仏壇(ぶつだん)も、お寺も、必要なんや。」

そうおっしゃっていたお言葉が今も私の脳裏(のうり)に残っています・・・。

 

                    南無阿弥陀仏 ⓢ

月かげ第198号

生きて身を

はちすのうえに宿さずば

念仏申す

甲斐やなからん

             西山上人

 

 

すっかり新緑となりました。

またまた、タイムカプセル発見です。

三月初旬に、京都松本明慶工房さまに修復をお願いした聖観音(しょうかんのん)さまの台座から、古文書が見つかりました。とても達筆です。書いたお方は中興(ちゅうこう)開山(かいさん)の音通(おんつう)上人です。宝暦(ほうれき)二年(1752)とありました。つまり、第十二代円空(えんくう)立恵(りゅうえ)上人の頃から寄付をつのり、正徳(しょうとく)二年(1712)に第十五代海潮音智湛(かいちょうおんちたん)上人が観音堂を再建した後、鐘楼、赤門も建築され、寛延(かんえん)三年(1750)、約三十八年後には第十七代音通上人が本堂を再建され、その音通上人が観音さまの台座に古文書を収められたのだと思われます。

詳しくは分かりませんが、ありとあらゆる仏像や仏具がこの間に整えられたようで、古文書には、「赤地金襴斗帳(あかじきんらんとちょう)一掛(ひとかけ)・・・」と書かれていて、その斗帳は今も残されています。

また、調べているうちに、愛知工業大学の岡野先生が寛延三年の本堂の見取り図も書いて下さっていることもわかりました。

本堂は昭和の大戦で爆弾(ばくだん)により屋根が半分吹っ飛んだと聞いております。長い歴史の中、何代にもわたり歴代上人と多くの檀信徒の皆さまに、こうして護持(ごじ)されてきたことは、奇跡的だと思います。

また、観音さまの横に立っておられた二天さま(二体)は平安時代の作であることが判明しました。そして今、とても綺麗に修復して頂いている最中です。

今年は、新型コロナウイルスで五重相伝もどうなるのかと思われましたが、このままいけば開筵(かいえん)出来そうです。立派に修復された観音堂に観音さまをお迎えして、記念の五重相伝となりそうです。

観音さまのご利益を頂ける最高の五重相伝になると思いますので、皆さまどうぞお申し込み下さい、贈五重(先祖代々供養)も、受け付け中です。

観音堂修復工事が完工し、聖観音さまと如意輪(にょいりん)観音さま、三十三体の観音さまが修復された年の記念の五重相伝となります。

とりあえず、六月、七月は三密をさけて八月の施餓鬼会(せがきえ)は山内法要の予定です。

まだまだ新型コロナウイルスの影響もありますので、注意が必要です。

また詳しくは折々にお知らせ致します。みなさまのご健康をお念じ申し上げます。     

南無阿弥陀仏   合掌 ⓢ

月かげ第197号

念ずれば

   花ひらく

                坂村真民

 

 

新緑の候、皆さま、いかがお過ごしですか。只今、新型コロナウイルスのため全国緊急事態宣言の真っ最中です。いつまで続くのか心配です。

 皆さまは「はらもみさん」という職業をご存知ですか。つまり、おなかを揉(も)むマッサージ師さんです。実家のある南部川の上の高木(たかぎ)という村にありました。七十歳過ぎの仙人のような先生でとても優しく、子供連れの方や癌(がん)を患(わずら)っている方や、腰痛やありとあらゆる病気の方が訪れていました。私も実家に帰った時に時々子供を連れて行きました。 

畳の部屋にお布団を一枚ひいただけで、その上に仰向けに寝て、ただ温かい手で優しく二十分ほどおなかを揉(も)んでもらうだけです。とても気持ちよく、固くなったおなかを柔らかくしてくれるのです。先生の手には、パワーというか、気のようなものがあったのでしょう。癌(がん)を発見したり、治したり、大勢の患者さんが訪れていました。

先生がおっしゃるには、「自分でも揉(も)んだらいいんや。ドキドキするところは悪いから、そこを押さえて揉(も)んでいたら、治(なお)ってくるよ。お水のたまったとこもあるやろ、ここ。これは流すのや・・・」そんな風に教えてくれました。

毎朝、布団の中で五分でも、揉んでみてください。とっても気持ちいいですよ。そして、コロナでストレスが溜(た)まっているお子さまにやってみてあげてください。静かになって眠くなって寝てしまいます。こんな時こそ、ゆっくりお風呂に入ったり、掃除したり、身体を元気にして、普段できないことをやってみてください。私は、おなかを揉みながら、般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱(とな)えます。時には延命(えんめい)十句(じっく)観音経(かんのんぎょう)をあげます。

母が子供の頃、風邪をひいた時などにそうしてくれました。肩やひざを揉むのもいいと思います。


  南無阿弥陀仏     合掌 ⓢ

月かげ第196号

自(じ)灯明(とうみょう)

法(ほう)灯明(とうみょう)

                     仏陀(ぶっだ)

 

 

 

桜の季節となりました。

この季節、例年ならば、大相撲春場所選抜高校野球に始まり、入試も終わり、卒業、入学と桜の開花と共に、明るいニュースが全国を駆け巡る時ですが、今年は違います。

新型コロナウイルス肺炎(はいえん)という伝染病(でんせんびょう)が流行して以来、今は世界中このニュースばかりです。

大正七年(一九一八)に流行した、スペイン風邪は全世界で二千五百万人が死亡したそうです。日本では二千五百万人の感染者で死者は三十八万人だったといいます。大戦の戦死者を遥(はる)かに超える深刻な事態だったと聞きました。今から百二年前のことです。多分、阿弥陀寺の檀家(だんか)さんの中にもスペイン風邪になられた方がおられたのではないでしょうか。今となっては、聞くことの出来ないことです。

お釈迦さまの最晩年のみ教えに

自(じ)灯明(とうみょう)

法(ほう)灯明(とうみょう)

というおことばがあります。

お釈迦さまは、四苦八苦(しくはっく)、人生は一切(いっさい)皆(かい)苦(く)だとおっしゃいました。そして、

「人生の暗闇(くらやみ)を歩むにあたり、自(みずか)らを灯明(とうみょう)とし、真理(しんり)の教えを灯明(とうみょう)として生きよ。」と言われたのです。

今は、何もかも便利になり、清潔にもなり、情報も沢山ありますので、手洗い、マスク、除菌、そして、最先端の医療で酸素吸引やウイルス撃退(げきたい)の薬も開発されていますが、それでも自然の驚異(きょうい)には勝てません。鳥インフルエンザも、エボラ出血熱も、毎年毎年、恐ろしい病や大災害が襲(おそ)ってきます。他人事ではすまされない、国民一人ひとりの責任が試(ため)されます。

明治三十六年生まれの田中力子(かね)さんは、国内最高齢で百十七歳です。百十七年という年月を生き抜いてこられた小さいおばあちゃん。どんな人生だったのでしょうか・・・。

寿命は人それぞれで、わかりません。幼(おさな)くして両親と別れる人もいますし、病気もします。だけど、命ある限り、自灯明、法灯明の教えを胸に、一日一日大切に暮らしたいと思います。

閻魔(えんま)さまも外から拝めるようになりました。また、いつでもお参り下さい。

合掌  ⓢ

 

月かげ第195号

いくたびも 

参る心は 初瀬寺(はつせでら)

山もちかひも 深き谷川

            第八番 豊山 長谷寺

 

 

 

観音堂の修復工事が終わり、あとは観音さまの修復を待つだけとなりました。三十三体の観音さまの事を少しずつ調べているうちに、興味深いお話を知りました。西国三十三番霊場の謂(いわ)れは・・・。

昔々、長谷寺(はせでら)の徳(とく)道(どう)上人(しょうにん)というお坊さまがご病気で六十二歳の時にお亡くなりになりました。そして冥土(めいど)の入口で閻魔(えんま)大王(だいおう)さまにお会いして言われたそうです。

「あまりにも、地獄に堕(お)ちる人が多いから、お前はもう一度帰って、各地の観音霊場三十三ヶ所を巡礼するように伝えよ。そうすれば、人々は滅罪の功徳が得られる」と、起請文(きしょうもん)と三十三の宝印(ほういん)を授かったそうです。それから徳道上人は長生きして八十歳で亡くなられました。

しかしその後、また三十三番は忘れ去られたそうです。そして約二百七十年後、第六十五代花山(かざん)天皇紀州那智山で山(やま)籠(ご)もりをされた際、熊野(くまの)権現(ごんげん)さまが現れて、徳道上人が定めた三十三番観音巡礼を再興するようにと、託宣(たくせん)を受けられたそうです。それから石川寺の仏(ぶつ)眼(げん)上人(しょうにん)を先(せん)達(だち)として、やがて人々に広まったそうです。花山天皇は三十三番の御詠歌(ごえいか)を作られたお方です。

阿彌陀寺には、三十三体の観音さまが祀(まつ)られています。遠い各地に行けなくとも、地獄に堕(お)ちることなく滅罪(めつざい)できるわけです。

阿彌陀寺の観音堂は正徳二年(一七一二年)建立とあります。今から三〇八年前、阿彌陀寺第十五代海潮音智湛(かいちょうおんちたん)上人(しょうにん)の時代、皆が地獄に堕ちないように、ここに建てて下さったわけです。

これからも、下津浦の檀(だん)信徒(しんと)の皆さまの心の拠(よ)り所(どころ)となり、見(み)護(まも)って下さると思います。ありがたいですね~。

    南無阿弥陀仏  合掌 ⓢ

月かげ第194号

夫子(ふうし)の道は

忠恕(ちゅうじょ)のみ

 

            孔子論語里仁第四

 

 

 

そろそろ梅の開花が始まったそうです。今年も無事に法然上人のご法事、第八百九回御忌会(お講)が厳修されました。

そして、観音堂修復工事も、もうすぐ足場(あしば)が撤去(てっきょ)されます。工事も終盤(しゅうばん)になり、一連の工事を通じて一番心に残ることは、工事を担当する職人さん方の姿勢(しせい)です。

先日からずっと一人で黙々と美装(びそう)の仕事をして下さっている美装屋さんに、「大変なお仕事ですね」と声をかけました。

その時、天井(てんじょう)を、丁寧に、すみずみまで洗って下さっていた職人さんが、「大変そうに見えるけど、慣(な)れたらしんどくないんやで。この仕事を始めた頃は肩もこって、首もしんどかったけど、今は何時間、こうしていても平気になったんや。」と言われました。

一つの仕事をやり続け、それぞれの仕事を極めた職人さん方の力の結集によって、間もなく観音堂の修復工事も完了を迎えます。この修復工事を通じ、多くの職人さん方と出会い、親しくさせて頂いた中で、職人さん方から多くのことを学ばせて頂きました。           南無阿弥陀仏  合掌 ⓢ

 

注・「父子の道は忠恕のみ」

(先生の説かれた道は、まごころと思いやりである)