月かげ第195号

いくたびも 

参る心は 初瀬寺(はつせでら)

山もちかひも 深き谷川

            第八番 豊山 長谷寺

 

 

 

観音堂の修復工事が終わり、あとは観音さまの修復を待つだけとなりました。三十三体の観音さまの事を少しずつ調べているうちに、興味深いお話を知りました。西国三十三番霊場の謂(いわ)れは・・・。

昔々、長谷寺(はせでら)の徳(とく)道(どう)上人(しょうにん)というお坊さまがご病気で六十二歳の時にお亡くなりになりました。そして冥土(めいど)の入口で閻魔(えんま)大王(だいおう)さまにお会いして言われたそうです。

「あまりにも、地獄に堕(お)ちる人が多いから、お前はもう一度帰って、各地の観音霊場三十三ヶ所を巡礼するように伝えよ。そうすれば、人々は滅罪の功徳が得られる」と、起請文(きしょうもん)と三十三の宝印(ほういん)を授かったそうです。それから徳道上人は長生きして八十歳で亡くなられました。

しかしその後、また三十三番は忘れ去られたそうです。そして約二百七十年後、第六十五代花山(かざん)天皇紀州那智山で山(やま)籠(ご)もりをされた際、熊野(くまの)権現(ごんげん)さまが現れて、徳道上人が定めた三十三番観音巡礼を再興するようにと、託宣(たくせん)を受けられたそうです。それから石川寺の仏(ぶつ)眼(げん)上人(しょうにん)を先(せん)達(だち)として、やがて人々に広まったそうです。花山天皇は三十三番の御詠歌(ごえいか)を作られたお方です。

阿彌陀寺には、三十三体の観音さまが祀(まつ)られています。遠い各地に行けなくとも、地獄に堕(お)ちることなく滅罪(めつざい)できるわけです。

阿彌陀寺の観音堂は正徳二年(一七一二年)建立とあります。今から三〇八年前、阿彌陀寺第十五代海潮音智湛(かいちょうおんちたん)上人(しょうにん)の時代、皆が地獄に堕ちないように、ここに建てて下さったわけです。

これからも、下津浦の檀(だん)信徒(しんと)の皆さまの心の拠(よ)り所(どころ)となり、見(み)護(まも)って下さると思います。ありがたいですね~。

    南無阿弥陀仏  合掌 ⓢ