月かげ第221号

わし

誕生日に

死ぬさか

            予言

 

 

 五月です

一年はあっという間。誕生と別れの繰り返しです。

「わし、明日(あした)死ぬさか」

これは和歌山弁ですが、標準語では「私は明日、死にますからね」というような意味です。今年の三月に数え九十五歳でお亡くなりになられたある檀家さんのおことばです。昭和三年にお生まれになって、先の大戦では予科練(よかれん)に志願し、海軍航空隊に入隊されていた方で、長年フェリーの船長をして、孫を可愛がり、家族仲よく、尊敬されていたお方です。どんな人でも山あり谷ありの人生だけれど、何ごとも経験と勉強やで、と教えてくださいました。

奥さまの話によると、九十四歳になるお誕生日の前日に「わし、明日(あした)死ぬさか」と話したそうです。お誕生日が終わって、おことばの通り、お誕生日の翌日の朝にお亡くなりになられました。お誕生日が最後の日でした。奥さまはまだまだ生きると思っていたそうですが、その晩は病院に泊まることにして、横で一緒に寝たそうです。朝方、お医者さんがお見えになり、「もう息してないよ」と言われて、びっくりしたそうです。

お寺にいると亡くなったという連絡が入る度(たび)に、あわててバタバタします。お若い方で、びっくりすることもあります。阿弥陀さまがお迎えに来てくださるとはいえ、楽に眠るように亡くなられる人は何人いるでしょうか・・・。赤ちゃんが生れるように死ぬ時期もわかっているのなら、慌(あわ)てないのですが、その日を予測できる人はほぼいません。

自分の身体を真底(しんそこ)わかって、木を育てるように、自分の身体と付き合うと、自分自身、最後の日がわかるのかもしれません。突然の地震津波、災害、どんなことがあるかもしれませんが、木が枯れるように大往生できることは幸せです。

みなさまも、授(さず)かった命を大事にして、阿弥陀さまがお迎えに来てくださるその日まで、最後の最後まで長生きしてほしいと思います。 

                   南無阿弥陀仏                                     合掌   ⓢ