月かげ第226号

弥陀(みだ)たのむ

身(み)となりぬればなかなかに

暇(いとま)はありて暇(いとま)なの身や

 

                        西山上人

 

秋の夜長となりました。

『月かげのいたらぬ里はなけれども 

ながむる人の心にぞすむ』

法然上人のこのお歌の意味を、月を見ながら時々考えます。綺麗なお月さまが顔を見せてくれている時、ふと、この歌が浮かんできます。お盆やお彼岸が終わり、本堂に並べられた塔婆が一本もなくなった時、大勢の人がお墓に美しいお花をあげられ、墓地が光って見えます。ご先祖さまのことを忘れて参らなくなったら、それは綺麗な月を見ないで寝てしまった時と同じかもしれません。

護(まも)ってくださっている阿弥陀さまがいるよ、と法然上人が教えてくださったこのお歌は、どんな時も、毎日毎日、忘れることなく、光って私たちを照らしてくださっている月を、阿弥陀さまに譬(たと)えられたお歌です。

元気に檀家さんがお墓にお参りされることは、光っている月を眺めている私たちがここにいますよ~という私たちからの月へのメッセージのような気がします。

                   南無阿弥陀仏  合掌    ⓢ