月かげ141号

名月や池をめぐりて

夜もすがら

 

 

 

     松尾芭蕉

 

知らぬ間に、朝夕、少しずつ涼しくなり、夜ともなれば、鈴虫が鳴いています。

今年の十五夜は、彼岸明けの翌日の九月二十七日です。「暑さ寒さも彼岸まで」のことば通りの心地よい季節、すすきも比較的見つけやすいかもしれません。

夜空のお月さまは、青白く光っています。子供の頃から、夜、外に出ると、探すともなく夜空を仰いで、月を見つけて安心したのを思い出します。

月は、同じ月なのに、毎日姿を変え、円(まる)くなったり、細くなったり、青白かったり、赤みがかったり、美しかったり、ぼやけていたり・・・・、面白いと思います。

私たちの宗派の僧侶は、一人前の資格をもらうと、僧名(そうめい)の他に、空号(くうごう)という名前を授(さず)かります。私の空号は、「月(がっ)空(くう)」です。

私は、子供の頃から月が好きです。そして、夜空の月は、阿弥陀さまのようです。月を見つけて安心するのです。和歌山では、月を「まんまいちゃん」と呼びます。そして、阿弥陀さまもまた、「まんまいちゃん」と呼ばれます。私自身、子供の頃から、無意識のうちに、阿弥陀さまを求めていたのかもしれません。

この世に月がなかったら、引力の関係で、地球上はいつも大嵐と聞いたことがあります。私の人生に、阿弥陀さまとの出遭(であ)いがなかったら、私の人生は、いつも大嵐であったかも知れません。

阿弥陀さまと二人連れの人生、ちょうどよくないはずがない・・・・。

南無阿弥陀仏   

 合掌

月かげ140号

 

亡き人の

背を洗うごと墓洗う

 

 

 

     作者不詳

 

暑い日が続きます。まもなくお盆です。お盆は、あの世とこの世の交錯(こうさく)する季節、一年の中でも特別な期間だと思います。

子供の頃、毎年八月になると、新潟県の田舎町の映画館では、必ず怪談ものの映画がかかっておりました。町のそこここに、怪談映画のポスターが貼られていて、見るともなしにポスターが目に入って、背中が寒くなったのを覚えています。極楽浄土を信じる前に、まさかと思える幽霊の存在を身近に感じていたことが思い出されます。怖がりの私は、子供心に、人を苦しめ、その人が恨みながら死んだら、幽霊になって取り殺される。だから、人には恨まれないように生きなければならないと、毎年実感したものです。

そして、お盆になったら、川に泳ぎに行ってはいけない。河童に足を引っ張られて、川に引きずり込まれるから・・・と。

八月十三日夕方から夜にかけての町内一斉のお墓参りや、それに続く各所の盆踊りなどのお盆行事は、懐かしくも慕わしい灯火(ともしび)色(いろ)の思い出です。

子供の頃のそのような思い出は、私自身の心の深いところで、私の人生の原体験になっています。

やがて、阿弥陀仏のご本願に出(で)遇(あ)い、救われて今日あるのも、子供の頃の毎年のお盆の体験がベースとなって、機縁(きえん)熟(じゅく)して横超(おうちょう)し、気がつけば、ご本願の中にあったとわかったのだと思います。

幼児期や子供の頃の宗教的体験が、人生を形づくり、人生を導き豊かにする・・・。

ヒンドゥー教では、人を二種類に分けるといいます。おまじないや欲(よく)信心(しんじん)ではない真実の宗教に向かう人々と、真実の宗教に背を向ける人々・・・。

弥陀の本願に生かされ生きる安らぎの生活は、私たち凡夫にとって、最高のよろこびの生活です。

お盆を迎えるにあたり、お盆の行事やお祀(まつ)りごとを省略することなく、できるだけ丁寧につとめることによって、阿弥陀さまとご先祖さまがおよろこびになって、回(めぐ)っては、信仰心の向上と安らぎや小さな奇跡などの功徳となって返ってくるのだと思います。

南無阿弥陀仏

合掌

月かげ139号

真理(しんり)は一つ、

聖者たちはそれをさまざまの名で呼ぶ

 

 

 リグ・ヴェーダ

 

去る六月十五日の朝、旧友の、シンガポール、ラーマクリシュナ・ミッションの副院長、スワーミー・サッティヤローカーナンダ師が、光明寺を訪れました。ラーマクリシュナ・ミッションは、世界各地に支部を置く、インドで最大にして、最も権威のあるヒンドゥー教の宗教団体です。

師は、九州の西山浄土宗寺院の出身であり、西山(にしやま)哲(てっ)昭(しょう)師(元宗務総長)のいとこにあたりますが、若い頃から真理(しんり)を求める思い深く、ついに一九七六年、インドのラーマクリシュナ教団入門、長年の修行を経て、現在、シンガポール僧院の副院長として、霊性の奉仕活動を続けておられます。

ここ数年、六月にほぼ一カ月、日本に滞在して講演等の活動をされており、今回の訪問となりました。

光明寺では、まず御影堂(みえどう)と阿弥陀堂で、しばらくお祈りを捧げた後、日下(くさか)俊(しゅん)精(せい)宗務総長と、インド、シンガポール、日本の、幼児教育や福祉事情、日本仏教の現状と展望などについて歓談され、和(なご)やかなひとときを過ごされ、さわやかな印象を残し、来年の再会を約束して、本山を後にされました。

普遍(ふへん)宗教の真理は一つ・・・。

私たちは、阿弥陀仏に帰依し、極楽世界(真理の世界)に至るのです。

南無阿弥陀仏    合掌

月かげ138号

つゆの身は

ここかしこにてきゑ(え)ぬとも

こころはおなじはなのうてなぞ

 

 

 法然上人

 

今年は、高野山開創千二百年ということで、全国から大勢の方々が高野山にご参詣されました。四月二日の初日には、白鵬日馬富士、両横綱の土俵入り、五月二十一日の結願法会には、秋篠宮ご夫妻がご来山されました。

当山では随仁が、ゴールデンウイークに、和歌山市新内・圓満寺さまの五重相伝会に随喜致しました。二十四日には下津の輪番御忌が、中・来迎院さまで厳修され、総代さんと随喜させて頂きました。三十一日には、町内一斉清掃も終わり、六月を迎えました。

五月中、新潟にも、父の十七回忌で久しぶりに帰郷致しました。父が退職後に建てた家は三十数年経ち、甥や姪たちも成長し、時の流れの早さに驚くばかりです。「あっと言う間の人生だ」と言っていた師匠もお浄土へ帰り、私自身、いつの間にか、初めて師匠に出会った頃の歳になっています。

従兄が、「知らなかった身内の昔ばなしや、色々な話ができて法事はいいね。山伏だったご先祖さんが紀州に縁があり、今、あなたが紀州のひとと結婚して紀州のお寺で住職をしているのは不可思議な因縁ですね」と話していましたが、私もそう思います。子供の頃から三十歳前まで、まさか、和歌山に住むとは、まして住職をするとは、想像もできませんでした。

人間は、縁のはからいによって人生が成り立っています。そして、細かい網の目のように複雑な縁の繋がりと調和が、お釈迦さまのおさとりになられた縁起の理法です。それを、時間の流れの中に置き換えると、因縁果の法則になります。そして、最高の縁こそは、本願念仏との出合いであります。   

衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)

南無阿弥陀仏    合掌

月かげ137号

根ほど葉広がる

         (ことわざより)

 

青葉の美しい季節となりました。

五月の連休は例年、下津上組の施餓鬼会が厳修されます。午後の法要なので、午前中に法事をして、出かけます。四日は、代務住職をしている梅田・地蔵寺の施餓鬼会です。

地蔵寺はわずか檀家十四軒の寺ですが、一ヶ寺として運営されています。寺のご本尊は地蔵菩薩で、前立(まえだち)本尊は阿弥陀如来です。

地蔵菩薩は、大地のほとけで、大地が全てを受け止めるように私たちを温かく護って下さるみほとけです。六地蔵といわれるように、上は天界から下は地獄まで六道を、私たちに寄り添って救って下さいます。

地蔵寺の正式な名称は、子安山(しあんざん)地蔵寺です。室町時代後期、応仁の乱により諸国が乱れる中、紀州下津(加茂郷)も例外ではなく、戦乱に巻き込まれ、あるいは飢餓により、多くの子供たちが亡くなったということです。この時にあたり、法入(ほうにゅう)大徳(だいとく)が、(亡くなった幼子たちのみた(・・)ま(・)を救いたい)という一心で、地蔵菩薩立像を本尊として、本堂を建立されたことが地蔵寺の開創であると伝えられています。

さて、当山にも、本堂に一体のお地蔵さま、地蔵堂にきしねのお地蔵さま、境内に二体のお地蔵さま、墓地に、八体のお地蔵さま、境外に、峠のお地蔵さま方、脇之浜のお地蔵さま、有縁のお地蔵さまとして四十八所神社のお地蔵さま方等、実に多くのお地蔵さま方がお祀りされ、私たちを護って下さっています。

大地は一切を浄化し、一切を育んでいます。大地に感謝を捧げ、今年も豊年万作を念じたいと思います。南無阿弥陀仏 合掌

月かげ136号

山の三角

弥陀の三尊

松吹く風も聖(しょう)衆(じゅ)来迎(らいこう)

 

 

西山上人

 

桜の季節になりました。

四月八日は花まつりです。お釈迦さまのお誕生日といわれています。お釈迦さまは、お生まれになって、七歩歩(あゆ)まれ、右手で天空、左手で大地を指さされ、「天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」とおっしゃられたと伝えられています。その時、甘露(かんろ)の雨が降り注(そそ)ぎ、それが誕生仏に甘茶を注ぐ由来となったと伝えられています。

阿弥陀寺でも毎年四月八日には、花(はな)御堂(みどう)に誕生仏をお祀りし、甘茶の供養をさせて頂いております。

「子供の頃に飲んだ甘茶が懐かしい・・・。たまたま通りかかったのですが、甘茶を頂いてもいいですか」と見ず知らずのひとが訪ねて来られることもあります。子供の頃に仏教に触れることはとても大切なことです。小さい時は見るもの聞くもの全てが新鮮です。子供の頃の記憶が何十年も経て、再び仏法へ導くということがあると思います。

私たちを救うと誓ってくださった法蔵菩薩阿弥陀さまになられた、その真実のみ教えを説かれたお釈迦さまの誕生仏に甘茶を注ぎ、素直に合掌することは、私たちの念仏信仰の素朴な原点に通じるように思います。 

遇(あ)い難(がた)き仏法に出合えたことを素直に喜びたいと思います。

誕生仏に甘茶を注ぐ時、私はいつもささやかな感動を覚えます。

お釈迦さまがこの世にお出ましになり、仏法を伝えられたことにより、私たちは救われました。

皆さま、四月八日には阿弥陀寺に参って甘茶を注いでみませんか。

南無阿弥陀仏  合掌

月かげ135号

  夕日

親を思わば 夕日を拝め

親は 夕日の真ん中に

西の空見て 南無阿弥陀仏

弥陀は 夕日のその先に 

           玉虫

        小説『親鸞』(五木寛之著)より

 

紀州下津浦、ひなびた小さな港町にある古いお寺。そこは、いにしえよりの念仏者のふるさと。千年の昔より念仏の声が響き、八百年前に海路より法然上人の本願念仏が伝わる。六百年前には明秀上人が訪れ、爾来(じらい)、念仏の声絶ゆることなし。現世極楽の聖地。※住職の寺報「月かげ」をご覧下さい。」

 

 この度、当山のホームページを作成致しました。総本山光明寺のホームページのリンクからもご覧いただけます。上記の内容で紹介文を書かせて頂きました。遠方にお住まいのご子息さんや、地区内、地区外の檀家さん方に、阿彌陀寺を身近に感じて頂ければと思います。

 さて先日、テレビで心療内科医の梅原純子先生が、「レモンを包丁で半分に切って、そのレモンを自分の口に絞ると思って下さい。自然とつばが出るでしょう。つまり思うだけで身体が反応する。これは心と身体が繋がっているということです」と話されていました。

 病(やまい)は気からとよく言われますが、心が健康ということは大切なことです。身体を患っても、心が元気な方は前向きな人生を歩まれるでしょう。しかし、身体が健康でも心が沈んでいる方は、本当の幸福とはいえません。まずは、日々、明るい気持ちで生活することが元気の源であるということだと思います。

 心と身体が調和し、信仰ある人生が理想です。そして、その信仰とは、決して他の信仰を認めない原理主義ではありません。

 法然上人は、念仏信仰以外の信仰を否定されることはありませんでした。

 愚鈍(ぐどん)の身にふさわしい信仰は本願念仏であると戴いて、智者のふるまいをせず、ただ自らお念仏を称え、多くの方々にお念仏を勧められました。

 今、日本の社会が危うい・・・。信仰心がすたれ、残酷な事件があとを絶ちません。

 心の健康と健全な信仰生活が、真の幸福な人生を開き、総じては豊かな社会をつくってゆくのだと思います。

南無阿弥陀仏  合掌