月かげ第174号

生きて身を

蓮(はちす)のうえに宿さずば

念仏申す甲斐(かい)やなからん

                 西山上人

 

 

梅雨間近(まぢか)の緑が生き生き元気なこの季節は、雨に感謝して雨(あま)ガエルのように緑にそまりたい気分です。

前回の「月かげ」を私が書きましたら、何人かの方にご感想を頂き、そして、本山の御前さまより「また書いて下さい」と温かいお手紙まで頂いたので、お恥ずかしながら、また書いています。

御前さまが本山からご自坊に帰られる度(たび)に、お墓参りをされ、「そうせずにはおられない不思議な力が働いているのでしょうね・・・」と、本山とご自坊はほんの少ししか離れていないのに、ふるさとが恋しいという御前さまの思いを知り、私なんか、情(じょう)のないことで、お墓に参りたい人の気持ちをないがしろにしたのかもしれないと反省致しました。

父母、妻、子ども・・・。亡くなった人が眠るお墓に参ることは、やはり、会いたいという思いと共に、どうしようもなく湧き上がる思慕(しぼ)のようなものかもしれません。

東北の震災で流された遺体を今も探し続けている多くの人たちや、それを支(ささ)える方々、自衛隊の人、役場の人、ボランティアの人、忘れられない思いで苦しみながら生きておられる方々がいる・・・・。そんなことを考えさせられました。

木でも花でも、植え替えるとなかなか根付くのは難しいものです。太陽の光と雨と土、自然に強く生(は)える木もあれば、日陰(ひかげ)で枯れてしまう木もあります。

以前、庭師の方が「木も人間と一緒や。弱い木や珍しい木ほど育てにくいけど、咲いたら、特別に綺麗な花が咲くもんやで」というようなことを話して下さいました。

どんな困難なことがあっても、人々の優しい思いやりや、助けに支えられて、生かされている。みんな繋(つな)がっている。

これからも、みんなに励(はげ)まされたり、励ましたりしながら、微力ながら、前向きに、そして感謝して、生きてゆきたいと思います。

     南無阿弥陀仏   合掌