月かげ第216号

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル・・・

 

 

今年も残すところ後一ヶ月となりました。

年末で喪中ハガキが何枚か届いていますが、最近は家族葬も増えてきて、「ふぎ」にも呼ばれないし、後から知ることが増えて、驚くばかりです。コロナ禍もプラスされ、時代の波に押し流されています。

一人暮らしのご老人も多く、病院に行くのに「タクシーで往復一万円もかかるのよ。」なんて聞くと、日本はどうなっているのか、と恐ろしくなります。違うおばあさんの話では、退院後、一人で帰って来たのだけれど、食べる物も何もなくて、「あんな大変なことはなかった」、そう聞きました。たまたまパンを持って来てくれた人がいて、助かったらしいけど、布団ひく力もないほどやつれた姿をみて、この歳で一人暮らしは厳しいなぁ・・・。と思った次第です。 

戦後厳しい中を生き抜いてこられた方々なので、自分のことは自分で責任もってつとめておられますが、息子さんや娘さんはどうなっているのかと思うのです。だけど、また息子さんや娘さんに聞きますと、コロナ禍で親の顔も見に行けないと嘆(なげ)いています。 仕事もなく、都会で閉じこもりの生活で「母親のお葬式も終わってから知らされたのよ」という話なんか聞くと・・・むちゃくちゃな世の中になって来たと思います。

それでも一番感心させられるのは昭和一桁生まれの今年九十歳になった方の話です。

「家でテレビばっかり見ていたらあかん」それが口癖(くちぐせ)で、毎日のように作業着を着て草刈りに出かけます。

雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・・

宮沢賢治の詩をそのまま生きておられるようなお方です。

宮沢賢治が理想とした生き方は、その方そのもの、誰よりも働き、一番長生きで、健康で、最高の幸せ、「ソウイウモノニワタシハナリタイ」なんだと思わせてくれるそんなお方です。もしかしたら、宮沢賢治の生まれ変わりかもしれない・・・・仏さまと共に生きているそんな感じです。

          南無阿弥陀仏   合掌  ⓢ

 

 

注・ふぎとは、諷(ふう)経(ぎん)の別名で声をそろえて経を読み上げること、葬式で参列するお坊さんを和歌山ではそう呼ぶ