月かげ第224号

月かげの

いたらぬ里はなけれども

ながむる人の心にぞすむ

              法然上人

 

 

 暑いお盆の季節がやって参りました。

今年の棚経は例年どおり、お参りさせて頂きます。

コロナ禍も二年を超えて、いよいよウイズコロナということで、上手に付き合うしかありません。一年一年、歳を重ねて、去年から、どれだけ成長したかは、小学生を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)ですが、歳をとっても、成長し続ける、そんな環境や精神が大切だと思います。

最近、『預(あず)かりもの』という言葉を時々目にします。老舗(しにせ)のお店や、伝統文化など、昔ながらの生活に欠かせない、『預かりもの』、それは、とても大切な貴重(きちょう)なものです。

代々受け継がれてきたもの。たとえば、利休(りきゅう)さんのお茶碗などは、特別な預かりものだといえるでしょう。国宝になって国が護(まも)っているものも多いですが、お寺にも多くありますし、一般家庭にもあると思います。そして、そのような『預かりもの』は、ほんのひと時、その時代の人が使った後、また後(のち)の世の人が大切に使うのです。だから、自分のものとは言わず、『預かりもの』といいます。ある代の方が捨ててしまえば、それでおしまいです。だけど、たまに、それを譲(ゆず)り受けたり、買ったりして、大切にまた残るということもあります。そのものの価値は、価値のわかる人にしかわかりません。

お墓もそうだと思います。自分一人の考えで、何代も続いてきたお墓をなくしてしまうのは寂(さび)しいものです。

それぞれの魂を大切にして、子孫の方が拝みに来て安らぐ場所として、お寺もお墓も護(まも)っていきたいと思います。

七月八月の間は、施餓鬼会(せがきかえ)、お盆、棚(たな)経(ぎょう)、全国各地で同じように、ご先祖さまが帰って来られて、日本伝統の夏の行事が続きます。

どうぞ、阿彌陀寺にもお参り下さい。

                                  ⓢ

     南無阿弥陀仏    合掌