月かげ第211号

   露の身は

     ここかしこにて

      きえぬとも

      心はおなじ

     花のうてなぞ

                   法然上人

 

 

七月となりました。

七月七日は総本山光明寺に於いて、第八十七世の御前さまの晋山式です。前日、堀本猊下が退山され、新しく、中西随功猊下の誕生です。

中西随功師は下津・白翁寺のご住職もされていて、去年の十一月の五重相伝にもお手伝いに来て下さいました。随功師は、みなべ・極楽寺の檀家さん出身で、父の弟子で私は小さい頃からよく存じています。

子供の頃から、「功ちゃん」と名前で呼び合う仲で、十三歳年上の丑歳で、兄のように、親しく生活してきました。

学生時代から勉強ばかりして、分厚い黒縁の眼鏡をかけていて、几帳面にノートをとり、筆箱は小学一年の時の物を使い続け、ちょっと近所に出かける時も、ワイシャツとスラックスに着替えて、「何処に行くんよ~」って私たちは笑いました。そして、いつも面白くないギャグをいうので、しらけて、ブーイングでした。私たちは、功ちゃんを「がり勉」といいつつ、尊敬していました。父も「功は真面目や。」と誉(ほ)めて、勉強することを勧(すす)めていました。

懐かしい思い出は、皆で海に泳ぎに行った時の話です。海に舟が一艘(いっそう)、ゆらゆらしていて、功ちゃんが、私に、「あそこまで一緒に泳いでみようか・・・」と言うのです。私はそんなに遠くには思えなかったので、気軽に「うん、行こう」そう言ったのです。泳いでも泳いでも届かない、波も押しよせていたのでしょう、たどり着いた時は二人とも、もうクタクタでした。私はそんなに泳ぎも得意じゃなく、何百メートルも泳いだことがなかったので、功ちゃんも帰りが心配になり、「迎えに来てもらうか・・・。」と 言ったような気がします。それでも、私は「大丈夫や、帰ろう」って言いました。それからが大変でした。功ちゃんの手を取って、二人で泳いだのですが、私は最終ほぼ、功ちゃんにしがみついた状態で溺れてるといってもいいほどでした。ようやくたどり着いた時には、心配して浜辺から声援していた姉と妹や皆が、「二人とも、もうおぼれて、帰ってこれんと思った」そう言って走り寄りました。今となったら、死ななくてよかったという笑い話です。功ちゃんは、もう忘れているかもしれません。

西山浄土宗という宗派の御前さまになるということは、私たちにとっても嬉しいことです。コロナ禍でもありますので、晋山式には出席できません。大きな宗派の中で、私たちはいろんな意味で、翻弄(ほんろう)されますが、仏様のご加護(かご)を感じながら、お祝いしたいと思います。

  

     南無阿弥陀仏   合掌  ⓢ