月かげ第237号

二人で歩む

遠い道も

くたびれない

           サトウハチロー

 

 

まもなく秋です。

私の六十四歳の夏が終わろうとしています。井上陽水の歌に『人生が二度あれば』という曲があります。高校生の頃、よく聴いていました。

この曲の歌詞の中に「父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり 仕事に追われ このごろやっとゆとりができた 母は今年九月で六十四 子供だけの為に年とった・・・人生が二度あれば この人生が二度あれば・・・・♪」とあります。

高校生の頃の私は、なぜかこの歌が好きでした。高校生の頃は、六十四歳といえば、随分年寄りで、おじいさんという印象でしたが、自分が六十四歳になった今、体力の衰えは感じるものの、老人という自覚はありません。 

現に九十歳を越えても、ますます元気な檀家さんもおられます。

最近、年齢について思うこと、それは実年齢と体力年齢と精神年齢は微妙に一致しないということです。信仰を頂いて、阿弥陀仏に護られながら生きることは、年齢を超えた最も幸せな生き方だと思います。

今日が一番幸福。

お大師さまと二人連れの人生。

阿弥陀さまと二人連れの人生。

大いなるお方が常に私には寄り添って下さっている。

人生はいつも、ひとりぼっちではありません。

人生が二度あれば・・・・。

たった一度しかない人生・・・・。

今年も、もの思う秋が近づいて参りました。

南無阿弥陀仏  合掌  

月かげ第236号

  • 華果同時
  • 泥中不染
  • 一茎一華
  • 蓮糸織布
  • 蓮根食用
  • 不着水滴
  • 蓮果薬用
  • 蓮台乗仏       (蓮(はす)の八(はっ)徳(とく))

八月です。お盆の季節です。

例年八月九日は当山の大施餓鬼会です。

午前九時から本施餓鬼・初盆施餓鬼・永代施餓鬼とお勤めが続きます。

今年は日本全国猛暑が続き、気温四十度に近づくほどの暑さで、熱中症で運ばれる方も多く、地球温暖化が一層心配されていますが、灼熱(しゃくねつ)地獄(じごく)に堕(お)ちることのないように、今年も餓鬼(がき)を供養して、ご先祖さまに功徳が廻(めぐ)るように勤めたいと思います。

お釈迦さまの教えの一つで、目連(もくれん)尊者(そんじゃ)のお母さまが地獄に堕ちたのを救うために始まった施餓鬼会(せがきえ)です。どんな時代になっても、時空を越えて、魂の救いを求めて、勤めます。

青森のねぶた祭・京都の祇園祭・四国の阿波踊り・・・。暑い夏に疫病退散を願ったり、精霊(しょうれい)を供養したり、全国にはありとあらゆるお祭が行われています。白浜やマリーナシティーの花火もいいですが、夏の暑い中、ご先祖さまのお墓に塔婆を建ててご供養するお墓参りも大切な行事の一つです。

自分が往生した後、また次の世代の者が、同じようにお墓に手を合わせ、お釈迦さまの佛教に縁を結び、心の平安を求めて欲しいと思います。いつも見守って下さっている阿弥陀さま、ご先祖さま、諸仏諸菩薩さまに今日の無事を感謝してお参り下さい。

お待ち申し上げます。

南無阿弥陀仏  合掌  

月かげ第235号

みてごらん

自分の顔を

笑ってごらん

、、、、、

怒ってごらん

、、、、、

すべてこの世は

こちらから

 

 

 もうすぐ 七夕です。

ひこ星とおり姫がどうして一年に一度しか会えなくなったのか・・・、それは二人が働かなくなったからだそうです。おり姫は神さまの着物を織(お)る仕事をしていて、ひこ星は神さまが乗る牛の世話をしていました。真面目に働いていた二人を結婚させた天帝ですが、残念ながら、二人が遊んで暮らすようになったので、やむなく、一年に一度だけしか会うことを許さないようにしたそうです。

悲恋の物語として伝わる七夕のお話も、よく知れば、悲しいけれどそれなりの事情があったのですね。毎日毎日仕事ばかりで、休日もなく働いている方も多いですが、年がら年じゅう顔を突き合わせていれば、喧嘩もあり、文句も出てきます。いつまでも好きでいられるのは一年に一度が良いのかな・・・。だけど、一年は長いです。会うごとに歳をとり、あっという間に星となる。七夕さまの物語が私たちに教えていることは、深い真実のような何かがあるような気がしてきます。

一年ぶりにサットサンガのアーナンダスワミジに出会いました。インドのラーマクリシュナの教えは世界中で人気のある教えです。聞くと心が洗われます。

「悪人が善人になりますように、

善人が平安な人になりますように、

平安な人が悟りを得ますように、

悟った人が他の人が悟りを得るように

助けますように」

自分が悪人と思うか善人と思うかはそれぞれのことですが、みんなが平安に幸せになれる教えはこれかな・・・。そう思えたお言葉でした。ロシアもウクライナも全世界、平和になりますように・・・。一番は自分自身が平安な心になれますように・・・。

南無阿弥陀仏  合掌  ⓢ

 

月かげ第234号

神佛(しんぶつ)

涼風(りょうふう)

 

 

           月空國孫(がっくうくにみま)

 

 今、世界が揺れています。

G7(ジーセブン)広島サミットが開催され、ゼレンスキー大統領も訪日されました。

コロナ禍はほぼ終息しましたが、ロシアとウクライナの戦争は続いています。

さて、ものごとの善悪・正邪を判断する場合、純真な子供の視点に立つことが大切だと私は考えています。

戦争をしたり、他者を貶(おとし)めたりする場合、考えも及ばないような屁理屈(へりくつ)を、その理由としている場合が多いように思います。

戦争をして、人を殺してよいのか?

悪いに決まっています。

詭弁(きべん)を弄(ろう)して、不正を続けてよいのか? 悪いに決まっています。

私は物事の善悪・正邪を判断する場合、その源(みなもと)に立ち返って、純真な子供の視点で考えるようにしています。

満八十八歳の私の母は、小学生だったある時期、戦闘機の飛行場づくりに毎日動員されたそうですが、終戦を迎えたため、一度も使用されることはなく、霊峰八海山の麓の八色っ原といわれるその地域は、今は豊かな魚沼市の水田地帯になっています。

ウクライナは、世界に名立(なだた)る穀倉地帯です。

故郷の豊かな水田風景を思うとき、ウクライナの国民の皆さま方が、早く安心して生活できる環境に戻ることを、心より願うばかりです。

            南無阿弥陀仏       合掌

月かげ233号

大和(やまと)は国の真(ま)秀(ほ)ろば 

畳(たた)なづく青垣(あおがき)
  山(やま)籠(ごも)れる 

大和しうるはし 

 

              『古事記』より

風薫る季節。今年も緑いっぱいの山々に爽やかな海風が吹いて、自然の美しさがまぶしい季節となりました。

例年行われている輪番御忌は、今年三年ぶりに竹園社さんで厳修されることになりました。以前のように多人数で集まることはありませんが、それぞれ、当番のお寺を中心に無理のない形で行うこととなりました。

竹園社さんは明秀上人が最晩年に住まれたお寺で、曽根田にあります。曽根田は下津町でも山の中で、高速道路の下津インターの入口で高い山に囲まれています。空気は本当によくて、竹園社さんにお参りすると、パワースポットという感じがします。その先にある引尾の立(たて)神社(がみしゃ)も有名で、毎年行われている

大餅(もち)投(な)げは遠くの方からも大勢来られて、それはそれはすごいお祭りです。私も一度、竹園社の奥さまに連れて行ってもらいました。若い男性が 中心に集まって、段々になっている石垣の上から何バイものお餅が次から次へと放(ほう)り投げられて、面白かったです。

五月十四日には得生寺さまでは中将(ちゅうじょう)姫(ひめ)の会式があります。二十五(にじゅうご)菩薩(ぼさつ)のお面を付けてお渡りをする会式は本当に美しいです。

有吉佐和子さんが小説『有田川』に書いている有名な会式で、小学生がお面を付けて歩きます。出店も出て賑やかです。

和歌山は高野山、藤白、龍神熊野古道など、信仰の文化遺産が各地に残っています。

皆さまもこの季節、ちょっと足を伸ばしてお参りしてみては如何でしょうか。すぐ近くにも沢山ありますよ。         ⓢ

    南無阿弥陀仏      合掌

月かげ第232号

山賤(やまかつ)が

白木(しらき)の合(ごう)子(し)そのままに

漆(うるし)つけねば

はげ色もなし

 

     西山上人

春になりました。桜のつぼみも膨(ふく)らんで、全国各地、桜の開花宣言が始まりました。

やっとマスクを外して生活できるようになって、明るい兆(きざ)しです。

先日ご法事で来られたご家族の方々は、ご法事の後、皆で白浜温泉に行くことにしたとおっしゃっていました。ご法事の後は近くの料亭でお食事をするのが恒例(こうれい)ですが、久しぶりに東京や大阪から親族が集まって、ワイワイ出来るので、白浜に泊まりに行こうと、孫の一人がおばあちゃんに提案されたそうです。 

コロナ禍では考えられなかったことです。約三年間、みんな辛抱(しんぼう)したからなぁ・・・、

待ちに待った嬉しい再会となりました。極楽に行ったおじいちゃんも喜んでおられることでしょう。

この二~三年、お葬式も法事も簡略化が進んで、県内の方だけとか、少人数でとか、大変でした。最近はコロナ禍の影響もあって、一日でお通夜とお葬式と初七日までというプログラムもあります。だけど阿彌陀寺では、お通夜とお葬式を一緒にすることは出来ないとお断りしています。出来る限り、二日に分けてし ます。

仏教の教えにある六道は、地獄から始まって、餓鬼(がき)道(どう)、畜生(ちくしょう)道(どう)、修羅(しゅら)道(どう)、人間(にんげん)、天界(てんかい)、と分かれます。今、私たちは人間界に住んでいるわけですが、亡くなって、何処に行くかは、その人の日頃の行いで決まるといわれています。何千年もの間、大勢の方々が信じてこられたお釈迦さまの教えは普遍(ふへん)です。

ご家族がご法事に集まって、ニコニコおじいちゃんおばあちゃんのお話など懐かしみながらしているのを見ると、信仰のある家は、心が豊かで、皆、優しくて、幸せだなぁ・・・と感じます。

現世(げんせ)極楽(ごくらく)、「法事の後の温泉旅行もいいなぁ・・・。流行(はや)りそうだわ。」   ⓢ

     南無阿弥陀仏      合掌

 

月かげ第231号

 

梅が咲き

桃が咲き

桜が咲いて

春となる

 

 

今、梅の花が満開です。三月三日のひな祭を前に桃の花を活けました。三月末には桜の花も咲くでしょう。

さて、今、阿彌陀寺では古墳(こふん)の調査が行われています。古墳の中の土を少しずつ掘り起こし堆積(たいせき)した土を取り除いて調査されています。何かお宝が出てくるか楽しみです。

 旧下津町は人口比率で日本一お寺が多い町と聞いています。神社も多く信仰の根付いた地域です。約六百年前に明秀(みょうしゅう)上人(しょうにん)が晩年に明秀寺を復興して、最晩年に竹園社に住まれて御往生されました。法然上人の念仏信仰が残っていたから、明秀上人がこの地に住まれたのだろうといわれています。

古墳(こふん)時代から始まり、お大師さまの信仰を受け継ぎ、法然上人、明秀上人のお念仏が伝承されている阿彌陀寺の歴史を考えるとき、歴史の重さが胸に迫ります。

信仰の光と共に、観音菩薩さまのお仏像も末永くお護(まも)りされていくことでしょう。

戦争があり、地震津波や災害があっても、下津浦の信仰の光は消えませんでした。

旧初午観音会式も本堂で勤めするようになって、三年目となります。旧初午当日は観音堂にお参りして、本堂の阿弥陀さまの前で御詠歌(ごえいか)を奉納致します。

毎年、旧初午の法要を勤めると、今年も無事、春を迎えることができた幸福を感じます。

皆さまどうぞお参り下さい。

 

 

          南無阿弥陀仏      合掌